『新宮晋の宇宙船』(横須賀美術館)
ステキに愉快な展覧会で楽しいことこの上ない。風と水の彫刻家・・・確かにその通りで見えない空気の循環をエネルギーに変換させて視覚を刺激する。この体感の心地よさ、身を委ねることの至福はまさに想定外の発見。
美術館前にはためく数多の黄色いオブジェは海と空とに競合して不思議に楽しい世界を垣間見せてくれる。
とにかく笑ってしまう、この浮世がこんなに明るく楽しいものだってなんて手放しで酔い心地になる。もちろん緻密な計算から構築されたこれらの作品群だけれど、ごく自然な流体なのである。
ちなみに今回、先生のワークショップ『絵本をつくる』講座に参加させていただき、先生の造られた数冊の絵本も拝見。初めての絵本『いちご』は世界中で愛されているという素晴らしい内容!
発想と詩心、構成のセンスの秀逸、やさしい絵本なのに《圧巻》
ワクワクが止まりません。
邪気をなくして輝く天地に身をあずけることの愉快は、忘れていた感覚かもしれない。
12月25日にはわたしたちも制作の宿題を提出しなければなりませんが、次回も楽しみにしています。
新宮晋先生、沓沢先生、ありがとうございました。
『フレッシュ・ウィドウ』
フランス式窓(フレンチ・ウィドウ)のミニチュアを『フレッシュ・ウィドウ』と名付けて差し出す。「なりたての未亡人」という奇妙なタイトルである。
夫が死亡した直後の未亡人とこの作品(窓)にどんな関連があるというのだろう。窓枠の中は黒(革)で覆われ見えない。本来窓というものは覗き見るための開口であり、閉ざしていては窓として機能しているとは言えず、窓としての役目を果たさない窓である。
閉鎖された窓、鑑賞者は隔てられた異空間を見ることはできないが、そこにはどうやら(死)という事実が内在しているらしい。死に遭遇した生をフレッシュと呼称する斬新さ。深い哀惜の念ではなく(新しい人)であるとする。(こんな考えがあるだろうか?)
!!、これは自身の変身の告白ではないか。
両性…二つの性、デュシャンは自分の中にある雄(男)を死亡させ、残された雌(女)を生きるというメッセージ、ある意味《洒落》であり、『ローズ・セラヴィ』になった瞬間である。
(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社刊)
「僕あんな大きな暗の中だってこはくない。きっとみんなのほんたうのさいはひをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう。」
☆目(ねらい)の他意の案(考え)を注(書き記す)講(はなし)である。
目(ねらい)を逸(隠して)書く新しい講(はなし)である。
消防団は、いまやまばゆいほどの脚光をあびるにいたったのです。だから、どこからもうしろ指をさされることのないように、これまで以上に気を配らなくてはなりません。そこへ、使者を侮辱したという事件が起こってしまいました。
☆侮辱的な小舟が発生したのです、ほかの逃げ道は見出せないという困難な報告をしました。