『博学な樹』
この時空間設定はどこだろう、少なくとも現世とは思えない幻想的な想像空間である。異空間・・・水色の空、渋ピンクの地上は球体の一部であるような湾曲が見られる、死後の世界を想定していると思われる。
板状の質感を持ったカーテン、ドア状の形態をした平板には四角に切り取られた窓が開いている。衝立状の壁面には大きな目が、まるで方向を違えて切り紙のような薄さで張り付いている。
どう考えても異常な光景であり、第一、樹が博学なはずはないが、人間の側の思い込みかもしれないと、思考を揺さぶられるような設定である。(異世界には異世界の条理があるとでもいうような)
枝葉を繁らせた人状(ピルボケ)は純白でありスラっとして美しい形態であるが、生育を停止された物(死)から、生育を象徴する枝葉(生)が伸びているという不条理な現象を見せている。
そして、それが博学であるという。
語ることのない物が、視覚(目であり、覗き見る開口部やカーテンなどの暗示)によって、見ている。見ていることの集積が枝葉に集約され蓄積されている。そう思い巡らせることの出来る設定である。
《きっと、見ている、見られている》という一途な思いがこの光景を描かせたのだと思う。異空間=冥府へ逝った母・・・断ち切れぬ思いをつなぐ仲介の光景。
会話断絶、連絡不能の異世界に居て心の枝葉をのばして現世の情報を学習し、覗き見ていてほしいと切望する心理の裏返しであり、それは誰にも介入を許さない秘密のコンタクトである。
『博学な樹』それは『何もかもお見通しの(見ていてほしい)死者の魂=天上の偶像(母)』である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展・図録より)
そこには誰かがいま帰ったらしくさっきはなかった一つの車が樽を二つ乗っけて置いてありました。
☆逸(隠れた)赦(罪や過ちを許す)の果((結末)の尊さは、慈(いつくしみ)の情が致(まねく)。
「とんでもない。ぼくは、まさにそういう連中のひとりなんですよ。逆に、こういう話に関心を寄せず、ほかの人たちにまかせきりという連中には、敬意を表したいとはおもいませんね」
☆しかし、わたしは彼らの一部(同類)です。逆に人々の成したこのような出来事に心を煩わせることなく、他の人たちに任せている人たちには死へ落ちていく印象はありません。