〔伏見先生の授業〕
「もう4回目ね」
「あと1回で仕上がるかしら?」
楽しい講座も残り1回。
「追浜まで…しかも駅から遠い」という理由でアイクルでの講座は避けていた。
でも、吊るし雛…これは避けて通れない。是非にと勢い込んで申し込んだ講座である。
楽しくて、嬉しくて、浮かれながら通っていたら、もう来週は最終回。
「ここはリサイクルのお教室ですから、手元にある物で作ればいいんですよ。」(そんなこと言われても、吊るし雛は縮緬・古布と決まっているから・・・)
「初心者向けの手芸教室ではありませんから」などと先生は手厳しいけれど、初心者のわたしたちを苦笑いしながらも手伝ってくださり、みんな何とか出来上がりつつある。
考えてみると、手取り足取りの有料教室よりも、突き放され迷える子羊状態の教室のほうが鬼気迫るものがある(わたしだけ?)
伏見先生、本当にありがとうございます。すごく楽しいです!
『旅行者用折り畳み品』
奇妙なタイトルである。極力荷物を少なくまとめるというのは旅行者の心得であり、そうしなければ旅行本来の目的に負荷がかかってしまう。
折り畳み・・・確かにコンパクトな印象を受ける。しかし、その物はカバーである。
カバーとは言わずと知れた本来の目的物を保護するための被いにすぎない。
Underwood社のタイプライターのカバー、カバーであるということは中身がないということでもある。もしかしたら中に有るのではないかという可能性も過る。
見えていないが、カバーの下にはカバーされている物があるはずだという確信さえ抱く。しかし展示を見ると、明らかに空である体を呈している。
ズバリ、カバーオンリーである。これが『旅行者用折り畳み品』だという。
長い旅…人生の比喩かもしれない。人生における言葉の数多(思考)がこの折り畳み品であるカバーの中に風(空)になって潜んでいる。カバーを開ければ、幾多の言葉の層が積み重なり、幾多の言葉が解放されて宙に霧散していく。
タイプライターのカバーは、折り畳み(隠して)持つ人生の旅の必携である。
(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)
ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむってゐたのでした。
☆元(根本)を究(つきつめ)、双(二つ)を注(書き記している)。
それは、お父さんの能力を証明する紙きれにすぎないのです。お父さんは、紙きれは渡したが、能力は渡さずに残しておいた。この能力のおかげでお父さんが消防団にとって欠くことのできない存在だったというのなら、ますます好都合です。
☆能力は証明されたけれど出さないでおいた。このことで事件は本当に重くなってしまったのです。