『デュシャン』
裸婦と着衣のデュシャンが向かい合ってチェスをしており、その向こうにデュシャンの仕事(作品)が垣間見えている。
デュシャンの世界観、わたくしは男であるが、女への変身願望を抱いている。しかし、明らかに男である自分が女に変身しようとしても決定的な相違がある。
越えられない壁は裸婦と自分が向き合う向こう側の作品に見ることが可能であるが、鑑賞者がそれを認知しうるか否かは(わたしにとって)問題外である。
根本的な性の追及、男であることは女を通してしか証明されず、女もまた然りではないか。
大気(ガス)に包まれた水地球の生物である人間の性、回転する地球の水とガスは重力圏内に与えられた必須の条件である。その領域に誕生した人間という生物の不思議は男女の性によって連鎖を遂げている。
わたくし(デュシャン)は彼女(裸婦)であり、彼女(裸婦)はわたくし(デュシャン)である。ゆえにこの写真は好奇的に撮らせたものではなく、自然回帰の根本への《問いであり答えである》
(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)
何とも云へずさびしい気がしてぼんやりそっちを見てゐましたら向ふの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだやうに赤い腕木をつらねて立ってゐました。
☆化(教えを導く)記が現れる。
講(はなし)の考えは願いであり、字を翻(つくりかえて)伝えている。
真に懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)を図っている。
良(優れた)法(仏の教え)は、一つである。
礎(物事の根本)の釈(意味を明らかにする)は、僕(わたくし)の目(ねらい)の律である。
そして、この瞬間から、なにもかもおしまいになってしまったのです。父は、辞令を額縁から出しもしないで、そのままゼーマンに渡しました。
☆そして、この瞬間に死は終わり、更に力を失つた先祖(汚点)の証明書を受け取ることなく、ゼーマンに死をあずけたのです。