寒いし、大雨である。
でも今日は『吊るし雛』の講座の4回目、何があっても行く!
そう、目標があれば《何が何でも》という強い気持ちになれるのだと気づく。
両親を送り息子たちも独立した今、やっと自分自身に立ち戻れた時間を有効に使わなければと思う。思うだけで時間の方が先回りしているせいで《がっかり》な日々を送りがち。
すでに十一月…今年も残りわずか・・・なんて考えていると侘しさだけが気持ちを占領し、前向きになれない。
老化著しいお婆さんだけれど、頑張って歩けるだけ歩いてゴール(死?)を目指す。
《がんばれ、元気出して歩け!》
歩いていきますとも~。
『オーステルリッツの喧嘩』
「オーステルリッツの喧嘩」は即ち「アウステルリッツの戦い」を想起させる。
15.000人の死傷者が出たというナポレオン皇帝が連合軍を破った戦い。多くの死者をあの世に送った戦いの歴史は時代の傷ましい哀惜である。
窓のミニチュア、これがどう『オーステルリッツの喧嘩』と結びつくのだろうか。
『戦い(戦闘)』ではなく『喧嘩』と言っている。だから窓はミニチュアなのだろうか。
15.000人の死傷者を出した悲惨な歴史は過去の語り草になっているが、勝利したフランスの歓喜はその後の敗戦により無為に帰している。
戦い(喧嘩)の無謀、無為による犠牲者の慰霊をデュシャンはこの小さな(ミニチュア)窓に集約させたのではないか。
この小さな窓は、多くの犠牲者(死者たち)の墓標であリ、デュシャンの鎮魂の碑である。
(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)
すくなくとも、ぼくにはそうおもわれます。と言いますのは、その辞令とやらですがね、そんなものがどうだったと言うのですか。
☆少なくとも、わたしにはそのように見えます。先祖は細かいことに拘泥しますが、その証明書は何ですか。