『お魚は……。』
その時です。俄かに天上に白い泡がたつて、青光のまるでぎらぎらする鉄砲玉のやうなものが、いきなり飛び込んで来ました。
☆語(言葉)は弐(二つ)の画(映像)を展(広げる)。
照(あまねく光が当たる=平等)である魄(たましい)の法(神仏の教え)の章(文章)である。
徹(貫き通す)法(神仏の教え)の談(話/物語)は秘(奥深くてはかり知れない)。
個(一人一人)が雷(神なり)である。
中央に描かれた建物(城)さえなければ、あり得る景色である。
バラとコップを消しても、城に匹敵するほどの巨大な煉瓦(壁)は考えにくい。
城の入口に比してコップの巨大さはあり得ない。
バランスが悪いというレベルではない、鑑賞者の概念が崩壊しストレスが生じる。
強引な並置は鑑賞者の心理を揺さぶり、大いなる拒否感を惹き起こす。
わたし達は、城やコップやバラ、壁や地上や天空についての概念を学習している。
このアンバランスは明らかに視覚を襲う《暴力》である。
『手の力』、表現には概念を破壊させる暴力的な力がある、その証明である。描くこと、静かなる描写に潜む過激な狂暴。
この画の前を通り過ぎるとき、胸騒ぎの狂想曲を聴く。「手の力」には《大いなる自由》があると。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
二人の炉ばたの百姓たちは、それを見て、又面白さうに笑ったのです。
☆普く図りごとが露(あらわれる)
飛躍した章(文章)が現れる。
幽(死者の世界)の魄は照(あまねく光が当たる=平等)である。
あなたがもとのように、Kがわたしのことであなたをいじめるまえのように健康になるまでね」
「じゃ、あなたは、ほんとうにおいでくださらないのですか、測量師さん」と、イェレミーアスは、なおもたずねたが、もうKのほうをふりむこうともしないフリーダに連れさられてしまった。
☆K、あなたを苦しめる前のように健全になるまでね」
「では、あなたは実際には出現しないのですか、土地を失ったことに気づいた大勢の人たちの前には」と、イェレミーアスはたずねたが、Kのほうをふりむくことなくフリーダに最終的に引っ張られていった。