『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖っているの。それが来たらお魚が上へのぼつて行つたよ。』
☆照(あまねく光が当たる=平等)の講(はなし)であると告げる。
千(たくさん)の記は、語(ことば)の照(あまねく光が当たる=平等)の講(話)である。
何かは合致し、何かは外れている。
リンゴはリンゴそっくりの形をしているが、二次元(平面)に描かれたリンゴらしきものに過ぎない。
葉は葉の形をしているがリンゴの葉にしては大きすぎて異様である。
馬は勢いの好い姿をしているが、リンゴから生え出ることは決してない。
以上三つのものはそれと認められるが、それではない。
リンゴに比して馬は小さすぎるが、リンゴが巨大なのかもしれない。
概念をことごとく崩壊させる光景である。馬は地上を飛び跳ねることはあるが空中に留まる走り方は出来ない。
神話における天馬、生命あるいは愛の象徴としてのリンゴ、大家族の始まりとなった鳩がくわえて来たオリーブの葉・・・天と地。
自然にはそれぞれ物語(伝説・伝承・神話)の添付が生じ、美化され仰視の対象と化す。
それらは単に人為的に造ったイメージにすぎない。イメージ、それらは自然の存在物への冒涜にあたるのではないか。飛躍した考えかも知れないが、皮肉を込めてこの画にそれを告発するものである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
農夫は針の上のねぢをまはしまいた。
農夫はノウ・フと読んで、悩、封。
針はシンと読んで、真。
上はショウと読んで、照。
☆脳(中心)に封(閉じ込めたもの)は、真(まこと)の照(あまねく光が当たる=平等)である。
こいつは、イェレミーアスを見習ったほうが賢明だったかもしれないな。あいつは、風邪をひどく誇張してやがる。
☆ひょっとしたら、イェレミーアスの法に合わせた方が良かったかもしれない。あいつは明らかに度を越している。