『そいつの眼が赤かったかい。』
『わからない。』
『ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かはせみと云ふんだ。大丈夫だ、安心しろ。おれたちはかまはないんだから。』
☆言(言葉)の釈(意味を明らかにすること)を帖(ノート)に運(めぐらせている)。
題(テーマ)は常に按(調べ考え)審(正しいあどうかを明らかにする)。
『記憶』
女性の石膏像の頭部…女神像が多いギリシャ・ローマ彫刻のような時代の古さ、長い時間を感じさせる。
神格化された女性像のこめかみから流れ出ている(付着)鮮血はとりもなおさず《傷心》である。
さざ波打ち寄せる暗い海上、暗雲垂れこめた空はこの像を圧しているが、背後にある馬の鈴(心情・告発・言葉)は純白である。潔白・純粋・無心・無念・・・の想いではないか。
手前の傍らにある薔薇は《愛の証》であるが、持つべき手はすでに失われ、頭部のみの存在と化している。
『記憶』・・・現世に離れたエリアで、思いを巡らせる痛恨と残る愛への執着。
さあ、その鮮血(記憶)を拭いさえすれば・・・肉体(有機)から無機(石膏像)へと昇華していった霊魂の持つ記憶への哀悼の意である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
「修繕したのか。汝、時計屋に居たな。」炉のそばの年取った農夫が云ひました。
☆手(方法)は繕(なおす/つくろうこと)。
諸(もろもろ)の字は、啓(人の目を開き理解させる)。
憶(思いを巡らす)挙(くわだて)が露(あらわれる)。
念(深く考え)労(力を尽くして働き)納(受け入れる)。
二つを運(巡らせている)。
もっとも、あいつの哀れっぽいざまは、風のせいじゃなく、生まれつきで、どんな煎じ汁を飲んだって治せるものか。が、とにかくイェレミーアスをお手本にしたほうがよかったかもしれない。
☆悲惨さは言明(予告)のせいじゃない、生まれつきで小舟のテーマでも健全さを追い払ってしまう。しかし、すべてイェレミーアスに倣ったほうがよかったかもしれない。