それだけでなく、ほかのどんな腕くらべでも、あいつが勝ったにちがいない。Kは、ひどく疲れ切っていたので、ここにはきっと空室があるにちがいにが、そういう部屋にもぐりこんで、きれいなベッドでぐっすり眠るという手はないものだろうかと考えた。
☆Kは、ひどく疲れていたので、内容のない作り話という問題を考えることなく、十分に大切な眠り(死)を哀願したのである。
『こはいよ、お父さん。』
『いゝいゝ、大丈夫だ。心配するな。そら、樺の花が流れて来た。ごらん、きれいだろう。』
☆普く題(テーマ)は常に二つある。
心(物事の中心)は、拝(神仏を拝むこと)を化(教え導くこと)である。
化(教え導くこと)を流(広める)記である。
『観光案内人』
赤紫のローブ・・・皇帝(身分標識)だろうか。
三つの集合住宅(模型)をもつ硬質(金属)なビルボケは、三つの国を征服あるいは強力な支配力を持つ者であり、火炎を吹いているのは戦闘における勝利の表明である。
歴史上の幻と化した人物が現代に現れ、観光地になったこの地を高らかに胸を張って案内し説明しようとする光景ではないか。
背後に二体、合わせて三体のビルボケである。三体はそれぞれまるで別々の方向を向いている。協力し合ったというより、戦乱の三体なのかもしれない。
今は昔の物語を今によみがえって語ろうとする観光案内人の滑稽さ。
「もし(現れたならば)」の話を空想し、今また権勢を一手に掌握する独裁者を揶揄し、被せて描いたものではないか。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
外では雪がこんこんこんこん降り、酒を呑みに出掛けた人たちも、停車場まで行くのはやめたらうと思はれたのです。
☆我意を接(つなぐ)考えの首(中心)は呑(他を取り込み)推しはかる。
皆(すべて)の途(みちすじ)の底(もとになるもの)は赦(罪や過ちを許すこと)である。
浄(きれいにして)光となる死である。
ただ、イェレミーアスの場合のように首尾よくはいかなかっただろうな。同情を集める腕くらべをやったら、たしかに、そして、それが当然なのだろうが、あいつのほうがおれに勝ったにちがいない。
☆ただ、イェレミーアスのように都合のいい結末にはならない。憐みの競争なら確実に、多分、まさしく彼の方が勝ったに違いない。