兄さんの蟹ははつきりとその青いもののさきがコンパスのやうに黒く尖つてゐるのも見ました。
☆系(つながり)は皆(すべて)照(あまねく光があたる=平等)だと告げる。
遷(移りかわること)を兼ねている。
この作品を考えていくと実に不思議な要素を重ねていることが分かる。
林の奥行があるのに全体平面である。
林は側面が垂直、上方は建屋の形にカットされている。
林の樹々には奥行きがあるのに枝葉の茂りは平面である。
林は前面、周囲の空は後方であるはずなのに、空(空間)の中に林が食い込んでいる、あるいは空間の方が林を抑えて前に出るような接線の描き方である。
視線は地平線にあるが、見上げているのではなく真正面からの視線に描かれている。
光の方向が不明である。
通常の絵の約束(疑似空間)は、ことごとく破られている。つまり現実には決して有り得ない時空を有り得るかに創作したのである。
自然(物理的)には存在しない光景を敢えて捻出した意図はなにか・・・。
新しい世界というのではなく、概念の全否定である。
イメージは学習された情報の集積から発するが、そのイメージに対する疑惑、反感から否定し果てた自由な開放を追及する手立てとしての試作が、不明なタイトルである『エルノシア』なのだと思う。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
さあ、その時です。いままで五時五十分を指してゐた長い針が俄かに電のやうに飛んで、一ぺんに六時十分の所まで来てぴたっととまりました。
☆二つを示す字は互に等しい。
文の詞(言葉)を調べ進める。
我(わたくし)は伝えるが、秘(人に見せないように隠す)。
逸(隠して)録(書き記したもの)は、自(おのずから)等しい諸(諸々)の雷(神なり)である。
下には、小さなドアが見えた。こちらの廊下にあるドアよりまだ低かった。イェレミーアスだけでなく、フリーダも、からだをまげてはいらなくてはならなかった。
☆下には先祖の氏族のドアがあった。普通のドアよりさらに低かった。イェレミーアスだけでなくフリーダも身を低くして中へはっていかなくてはならなかった。