続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『パリの空気50㏄』⑤

2020-04-24 07:29:28 | 美術ノート

 空気は冷却すれば水になり、加熱すれば蒸気(気体)になる。ガラス製アンプルの下部に水滴が見える、空気には質量があり、ほかの物質を含み変異する。しかし、それを「パリの空気」と名付けることは、比ゆ的には可能かもしれないが実質的には根拠がなく証明できない。

 基本的に空気は見えず、容器の中にパリの空気50㏄を閉じ込めることはできない。不可を可能にするのは《言葉》だけである。
 空気(不可視)という物に対し命名する、それは《無》を《有》にすり替えるに等しい。

 決して手につかみ取ることのできない空気を測って封印する。奇想であるゆえに、もしかしたらの肯定が鑑賞者の心理に入り込まないとは限らない。

 その心理の揺れである。物理的に証明できないことを精神的には許容してしまうという闇の空間が『パリの空気50㏄』と鑑賞者の間に発生するということである。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより


『忘れえぬ人々』136.

2020-04-24 07:20:07 | 国木田独歩

「すると直ぐ僕の耳に入ったのは琵琶の音であった。

 直ぐはジキと読んで、自記。
 僕はボクと読んで、目。
 耳はジと読んで、弐。
 入ったはニュウと読んで、new(新しい)。
 琵琶はビ・ハと読んで、備、把。
 音はインと読んで、隠。


☆自記の目(観点)は弐(二つ)ある。
 新しく備(あらかじめ用意してあるもの)を把(つかむこと)を隠している。


『城』3406。

2020-04-24 07:02:24 | カフカ覚書

彼女は、Kに反論させまいとして、話しながらしきりにうなずくのであった。あなたは、フリーダを酒場から連れだされました。わたしは、そのおかげで出世することができたのです。

☆彼女は、Kに小舟への反論を認めさせようと熱心にうなずいていた。まず最初にフリーダを酒場(死の転換点付近)から連れ去りました。そのためペーピは上ることができたのです。


デュシャン『パリの空気50㏄』④

2020-04-23 07:05:29 | 美術ノート

 ガラス製アンプルの中に入っているという「パリの空気50㏄」、じつに教えが深く、鑑賞者の心理をくすぐり、翻弄する。

「パリの空気50㏄」を取り分けることなど不可能である。空気の分量を限定することも困難である。実験的な証明はあるが、日常生活における空気が論点である。人間(生物)にとって絶対に必要不可欠である空気であるが、地域別になど絶対に分割することはできない。
 わたしたちは空気に慣れ親しんでおり、あまりにも当然、しかも身近過ぎるゆえに、空気の神聖さを忘れがちである。

《絶対に》という言葉がある。初めからの必然であり、偶然の入り込む余地のない状態を指す。空気を思い通りに分割する、一見可能に見えるこの試み、まして、分割した挙句名付けることなどできようか。

 根本原理の提示、原始地球の大気からの変化についてではなく現今の空気一般である。不可視なものへの課題、見えないことの意味を思考している。

『パリの空気50㏄』はデュシャンの黙した提議である。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより


『忘れえぬ人々』135.

2020-04-23 06:54:54 | 国木田独歩

僕は殆んど自己を忘れてこの雑踏の中をぶらぶらと歩るき、やや物静なる街の一端に出た。


☆目(ねらい)の他意は、字で個(一つ一つ)謀(図る)造りである。
 問うことで註(意味を明らかにする)。
 普く仏の済(救い)の我意である。
 逸(隠れている)譚(話)を推しはかる。


デュシャン『パリの空気50㏄』③

2020-04-22 07:42:16 | 美術ノート

 無味、無臭の地球を取り巻く気体の複合体は、不可視である。風や気圧などほかの条件により左右されることはあるが、五感で直接感じうる対象ではない。

 にもかかわらず、『パリの空気50㏄』とタイトルする狙いは何だろう。
 少なくとも空気を分けることなど出来ない。

 不可能をあたかも可能なように見せる。脳を誤作動に導く構造は、積み重ねたデータへの不確定な信頼である。
 言葉による誘導に疑惑を持たない。少しの不信、曖昧さを肯定する傾向を否定できない。

 ガラス製アンプルに『パリの空気50㏄』が混入しているという馬鹿げた話を鵜呑みにし、直視の事実に虚偽はないとさえ感じてしまう。このメカニズムの根底にあるものは言葉の説得力である。身体の器官は《言葉》によって作動する。この問題を拡大視すると扇動にもつながる。

 言葉と対象(物/世界)にある《空気》は『パリの空気50㏄』に近似する。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより


『忘れえぬ人々』134.

2020-04-22 07:34:53 | 国木田独歩

其処で何となくこれ等の光景が異様な感を起こさせて、世の様を一段鮮かに眺めるような心地がした。


☆記の諸(もろもろ)は、化(教え導くこと)を問う講(話)である。
 継(つなぐ)意(考え)の要は、逸(隠れた)談(話)を詮(明らかにすること)である。
 調べると新しい質(内容)がある。


『城』3404。

2020-04-22 07:21:25 | カフカ覚書

Kが彼女の悩みをたずねるまでもなかった。彼女は、すぐに自分から話しだした。話をしているあいだも気散じが必要であるかのように、また、自分の悩みを打明けているときでも、すっかりそれにのめりこんでしまうことはできない、それは自分の力にあまることなのだからとでも言いたげに、Kのコーヒー・カップをじっと見つめていた。


☆Kが彼女の不幸を尋ねるまでもなかった。彼女はすぐに語り始めた。Kのまなざしは馬鹿話を裁いた。話をそらせる必要があり、彼女の不幸(悲しみ)に対し懸命に進むことができなかった。


デュシャン『パリの空気50㏄』②

2020-04-21 07:22:20 | 美術ノート

 密閉容器である、外に漏れることも外から入り込むこともない。
 遮断、限定された空間内の空気には50㏄のパリの空気が混入されているという提示である。

 確証、根拠を証明できない。空気に特定の命名はなく地球上を対流しているからである。しかし、これほど特定不可な物質は他にあるだろうか。確かに空気に何かほかの要素が混じるということはあるが、単に空気といった場合、窒素・酸素炭酸ガス…等である。しかも見えない。

 見えないものに対する挑戦。見えないが存在することの畏怖、あるいは無感覚。それを「感じよ、凝視せよ」という命題である。空気は無ではなく有である。
 存在の根拠、空気がなければ生物(人)は死ぬという自然の理。このガラス製アンプルの中には、パリの空気という芸術の都への比喩が入っている。アーテストの憧れる、あるいは集まるところのパリ、花の都パリという幻想が50㏄ばかり入っているというジョーク。空気は世界全体同質(気候による温度湿度の差はある)、しかしパリの空気は・・・歴史(時間)の作り出した精神的な概念は「パリの空気」と命名するに値するかもしれない。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより