続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)大根は。

2021-06-26 07:35:35 | 飯島晴子

   大根は虚空へかへり老女たち

 大根はタイ・コンと読んで、怠、恨。
 虚空へかへり(虚空帰)はキョ・クウ・キと読んで、挙、空、既。
 老女たち(老女達)はロウ・ジョ・タツと読んで、浪、除、撻。
☆怠(すべきことをしない)を恨(残念に思う)。
 挙(すべて)空しく既(つきる)浪(むだ)を除(取り除き)撻(鞭でたたく)。

 大根はタイ・コンと読んで、対、婚。
 虚空へかへり(虚空帰)はキョ・クウ・キと読んで、拒、空、寄。
 老女たち(老女達)はロウ・ジョ・タツと読んで、老、恕、立つ。
☆対(二つで一組になる)婚(男女が夫婦になる)を拒(拒むのは)空(虚しい)。
 寄(身をよせて)老(年を取ること)で、恕(おもいやり)が立(なりたつ)。

 大根はタイ・コンと読んで、他意、渾。
 虚空へかへり(虚空帰)はキョ・クウ・キと読んで、拠、空、記。
 老女たち(老女達)はロウ・ジョ・タチと読んで、労、助、質。
☆他意は渾(いろんなものが一つに溶け合っていること)が拠(よりどころ)である。
 空(根拠がない)記の労(ほねおり)を助ける質(内容)である。

 大根はタイ・コンと読んで、他意、根。
 虚空へかへり(虚空帰)キョ・クウ・キと読んで、拠、空、記。
 老女たち(老女達)はロウ・ジョ・タチと読んで、労、叙、質・。
☆他意の根拠は空(何もない)記である。
 労(力を尽くして働き)叙(思うことを順序だてて述べている)質(内容)である。


鈴木しづ子(私的解釈)堕ちてはいけない。

2021-06-26 07:20:17 | 鈴木しづ子

   堕ちてはいけない朽ち葉ばかり鳳仙花

 堕ちてはいけない・・・自分を捨て、自らの誇りを投げ春を売る。この猥雑な絶望感、(お終いだ、お終いだ)と自分を責める。周りの仲間は黙して語らないが、今日を生きるためにこの混乱に乗じ朽ち葉として風に吹かれている。

 花を咲き終えた鳳仙花の実は、触れただけで弾け飛び落下する。ほんの少し指が触れただけで・・・。
 ああ、決して堕ちまいぞ。堕ちてはいけない自負の念がある。


『飯島晴子』(私的解釈)朝晩の。

2021-06-25 07:14:31 | 飯島晴子

   朝晩のくるしい水仙ふところに

 朝晩はチョウ・バンと読んで、弔、挽。
 くるしい水仙ふところに(苦水仙懐)はク・スイ・セン・カイと読んで、苦、推、千、悔。
☆弔(とむらい)で挽(死を悼む)のは苦(精神的に辛い状態)を推しはかると、千(たくさん)の悔(くやむこと)がある。

 朝晩はチョウ・バンと読んで、兆、判。
 くるしい水仙ふところに(苦水仙懐)はク・スイ・セン・カイと読んで、句、粋、選、甲斐。
☆兆(きざし)が判(解る)句(俳句)は粋(すぐれている)。
 選ぶ甲斐(ある行為に値するだけの良いしるし、効き目)がある。

 朝晩はチョウ・バンと読んで、長、盤。
 くるしい水仙ふところに(苦水仙懐)はク・スイ・セン・カイと読んで、工、遂、選、塊。
☆長(すぐれた)盤(大皿)を工(作ること)を遂(やりとげる)には、選(多くの中からえらぶ)塊(土の塊)がある。

 朝晩はチョウ・バンと読んで、帖、番。
 くるしい水仙ふところに(苦水仙懐)はク・スイ・セン・カイと読んで、句、推、千、解。
☆帖(ノート)には番(組み合わせる)句(言葉)を推しはかる千(たくさん)の解がある。


若林奮『Valleys(2nd stage)』

2021-06-25 06:33:38 | 美術ノート

   Valleys(2nd stage)

 横須賀美術館前に設置されたこの作品、通るたびに考えている。設計図にあるようにもともとは、二本の通路が背中合わせになっている構図である。

 一方を行けば他方は未知であるという関係、限りなく道は続いていくその一端の提示を鑑賞者は歩く。
 道の選択、二分の一は想像するしかない、存在しているが選ばない限りそれは無いのと同じである。

 見えない、知らない世界は見えている世界に等しいだろうか。夢想の基本はここにあり、未来永劫の時間と地球(宇宙)創生の過去の時間。過去の時間は確かに存在していたが、未来は現在に続く道(時間)であること以上には不明である。

 過去と未来、生と死・・・現時点からの選択、あるいは免れ得ぬもの(時間)は、選択の自由を委ねられていないかもしれない。
 わたしたちは常に存在を生き、非存在(不在)を夢想する。無からの大いなる束縛は存在を常に脅かすものであるが、宿命という名のもとに見えないものを背に負っている。存在の半分は非存在の振動を受け、非存在との共同体である。道は空と地底、過去と未来を孕んだ細く長く続く低地である。


『国道の子供たち』10。

2021-06-25 06:11:59 | カフカ覚書

目の荒いレースのカーテンが暖かい風をうけてふくらんだ。ときおり、外を通りかかってぼくの様子を覗き込もうとしたり、ぼくと話そうとしたりする誰彼が、そのカーテンを手で掴んだ。


☆強い非難は警告するかのように風を受けて膨らんだ。幾度か外を通りかかり彼らはわたしのほうを見て無造作に非難をあらわにしていた。


『飯島晴子』(私的解釈)黄葉に。

2021-06-24 07:11:32 | 飯島晴子

   黄葉に長い骨だけ出しておく

 黄葉はコウ・ヨウと読んで、講、要。
 長い骨はチョウ・コツと読んで、調、骨。
 出しておく(出置)はスイ・チと読んで、遂、致。
☆講(話)の要は、調(整えること)が骨(コツ)であり、遂(やりとげて)致(ある状態に至らせること)である。

 黄葉はコウ・ヨウと読んで、紅、葉。
 長い骨はチョウ・コツと読んで、眺、惚。
 出しておく(出置)はスイ・チと読んで、粋、質。
☆紅葉を眺めると惚(うっとりする)。
 粋な質がある。

 黄葉はコウ・ヨウと読んで、稿、用。
 長い骨はチョウ・コツと読んで、帳、忽。
 出しておく(出置)はスイ・チと読んで、衰、痴。
☆稿(下書き)に用いる帳(ノート)を忽(おろそかにすると)衰(勢いがなくなる)。
 痴(愚か)である。

※黄葉はやがて落葉するが、長い枝だけは残していく。


若林奮『Ⅲ-3-11』

2021-06-24 06:45:50 | 美術ノート

   Ⅲ-3-11 飛葉と振動

 飛葉とは何だろう。今までの経由から見ると、葉は生命であり、人である。
 人が飛ぶ・・・感覚、対象世界への眼差しだろうか。
 手足(胴体)は被われている、その男の前には棒状のものが林立している。人あるいは景色・光景の抽象化であり、究極の形態としての世界である。

 この作品における振動、視覚・聴覚の受動、眼差しの能動、微かにも伝わりあう空気の波長。人(生命)が存在するとは、周囲との関係性そのものである。世界は広くも狭くも感じ得るそのままの大きさであり、五感(感覚)は休みなく世界と触れ合いその感覚を確認しあっている。

 逆に言えば、存在するのは物体ばかりではなく、その隙間から生じる空気の揺れ(振動)が存在を支えていると言える。
 存在は非存在との交感かもしれない。それをつなぐものが《振動》である。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『飯島晴子』(私的解釈)羊歯谷の。

2021-06-23 07:15:36 | 飯島晴子

   羊歯谷の石のまにまの人肌か

 羊歯谷はヨウ・シ・コクと読んで、夭、死、酷。
 石のまにまの(石間間)はコク・カン・カンと読んで、哭、観、棺。
 人肌はニン・キと読んで、忍、器。
☆夭死(若死)は酷(むごく)哭(大声で泣き悲しむ)。
 観(よく見ると)、棺は忍(むごい)器である。

 羊歯谷はヨウ・シ・コクと読んで、様、視、古句。
 石のまにまの(石間間)はシャク・カン・カンと読んで、借、勘、憾。
 人肌はジン・キと読んで、甚、記。、奸
☆様(ありさま)を視(気を付けてみると)古句を借りている。
 勘(調べると)憾(残念に思う)、甚(はなはだひどい)記である。

 羊歯谷はヨウ・シ・コクと読んで、妖、姿、酷。
 石のまにまの(石間間)はセキ・カン・カンと読んで、責、看、奸。
 人肌はジン・キと読んで、尽、危。
☆妖(艶めかしい)姿は酷(程度がはなはだしい)と責(咎められる)。
 看(よくみると)、奸(道義に外れた行い)であり、尽(ことごとく)危(あやうい)。


鈴木しづ子(私的解釈)欲望や。

2021-06-23 06:54:32 | 鈴木しづ子

   欲望や寒夜翳なす造花の葩

 戦後進駐軍相手の街の話である。
 明日は戦火に飛び込もうとする死を覚悟の米兵、そして彼らの欲望に応えるべく街に立つ女人。
 翳・・・陰翳、暗翳、雲翳、翳は形なく大きく流れやすい、在るかと思うと消えて無くなるものの影であり、寒夜は即ち貧困である。
 男の目を引く着飾った造花の葩、心からの愛はなく、生活のための嘘の葩の華やぎ。寒夜、翳なす女人がいる街角の話である。