続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『Ⅲ-3-2』

2021-06-23 06:14:13 | 美術ノート

   Ⅲ-3-2〔無題(銅葉ゆりの樹)〕Ⅲ-3-5(栃の木)Ⅲ-3-4(朴葉)

 それぞれの葉を重ねて置いてある。葉を生命体とするなら、家族のようなものかもしれない。離れがたく一つのグループを成している。

 この葉への感情移入・・・葉は朽ち果て終末を迎え跡形もなく姿を消す。しかし、銅(金属・無機質)に変換した場合、形は世紀を超えて残存するに違いない。
 葉(有機質)は終末(死)を必然とするが、金属は不変である。しかし、やがて酸化し腐食・劣化は免れない。時間差である。

 この表象は祈りだろうか。条理への反感だろうか。作家は黙して語らないが、生命体の持つ連鎖(DNA)の時空を集約・凝縮した形を金属に質的変換を成して表したのだろうか。作品としては初めて葉を見た幼児の感覚に近い素朴さ唐突さである。あえてそこに意図が有るのだと主張しているのかもしれない。

 この作品を見ても一般的な感動には至らない。美的でも機能的でもないからであるが、あえて提示したという作家の意図に疑惑が生じる。
 形態の持つ観念的思考、質感の持つ観念との落差、実際に置かれた作品と鑑賞者の観念(集積されたデータ)との距離。これらは一致することなく精神の時空を振動させ、自覚の不確かさを揺らして止まない。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『飯島晴子』(私的解釈)目前の。

2021-06-22 07:14:38 | 飯島晴子

   目前の冬木に禽をよせて逝く

 目前はボク・ゼンと読んで、睦、善。
 冬木はトウ・ボクと読んで、道、撲。
 禽をよせて逝く(禽寄逝)はキン・キ・セイと読んで、勤、嬉、誓。
☆睦(仲よくすること)は善(よいこと)である、と道(言う)。
 僕(わたくし)は勤(つとめて)嬉(遊び楽しみ喜ぶ)と、誓う。

 目前はモク・ゼンと読んで、目、全。
 冬木はトウ・モクと読んで、套、黙。
 禽をよせて逝く(禽寄逝)はキン・キ・セイと読んで、僅、記、成。
☆目(ねらい)は全て套(覆って)黙っている。
 僅(わずか)に記(書いたもの)から成(出来上がる/ある状態になる)。

 目前はボク・ゼンと読んで、撲、然。
 冬木はトウ・ボクと読んで、党、睦。
 禽をよせて逝く(禽寄逝)はキン・キ・セイと読んで、謹、貴、静。
☆僕(わたくし)は然り、党(仲間)と睦(仲よくし)謹(かしこまっている)。
 貴(敬意を表し)静かにしている。

 目前はモク・ゼンと読んで、黙、然。
 冬木はトウ・ボクと読んで、倒、木。
 禽をよせて逝く(禽寄逝)はキン・キ・セイと読んで、禁、規、制。
☆黙然(だまって)倒木(木を倒すこと)は禁じられている。
 規制(法律を整えて物事を制限すること)がある。


若林奮『Ⅲ-3-7』

2021-06-22 06:29:27 | 美術ノート

   Ⅲ-3-2〔無題(鉛の葉 桐)〕Ⅲ-3-5〔無題(銅葉 桐)〕

 葉の形を模している、しかし異質である。決してこうはならず、繋がらない質の変換。置き換えられた葉は何を意味するのだろう。

 無機質と有機質は永遠に融合しない。腐食と残存、蘇生と不変、この隔たりは平行線をたどる。にもかかわらず、この質的変換を試みたのは単に葉を金属板で表現したのとは違う意図があるはずである。

 個々は、決して同一ではなく種や属で一括りにされ、根幹を同じにしても個々は微妙に違う主張を持っている。銅(金属板)で模り提示する違和感。しかも徹底的に細部にこだわった模型ではなく、名づけられたものとしてのざっくりした提示にすぎない。

 過去の歴史、地球創世記まで辿っても葉(有機)と金属(無機)との接点はない。もちろん未来においても・・・。
 葉にはDNAがあり、連鎖がある。いわば一つの生命体である。この生命が無機に変換されるということは(死)である。蘇生の拒否、終止符の打たれた形である。

 葉は枯渇あるいは腐食して最期となるが、金属に置換すれば、永遠の表象となる。
《生命への畏敬の念》、精神の振幅、心の揺れの極点を模索したものではないかと思う。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『国道の子供たち』7。

2021-06-22 06:11:43 | カフカ覚書

 それから小鳥の群が火花のように飛び立った、目でそのあとを追いながら、かれらが人息に高く高く上って行くのではなくて、ぼくが墜落していくような気がした、ぼくは網に難くしがみついて、心細さのあまりすこしブランコを揺りはじめた。


☆それから鳥が飛散し、輝いて見えたので後を追った。一呼吸で昇っていくのを見ていると、それは本当ではなく、わたしが落ちていくようだった。わたしは網を固くつかんで、不確かにブランコ(公平・公正)を揺らし始めた。


『飯島晴子』(私的解釈)一月の。

2021-06-21 07:10:47 | 飯島晴子

   一月のみどり児に降る山埃

 一月はイツ・ガツと読んで、佚、月。
 みどり児(嬰児)はエイ・ジと読んで、陰、自。
 降る山埃はコウ・サン・アイと読んで、恍、讃、愛。
☆佚(楽しむ)月の影(ひかり)、自(自ずと)恍(うっとりする)。
 讃(褒めたたえて)愛でている。

 一月はイツ・ゴウと読んで、何時、合。
 みどり児(嬰児)はエイ・ジと読んで、翳、事。
 降る山埃はコウ・サン・アイと読んで、候、Sun、間。
☆何時、合(太陽と惑星が同一方向にある状態)になるのか。
 翳(ものに覆われる)事(出来事)の候(様子をうかがう)と、SUN(太陽)が間にある。

 一月はイツ・ゴウと読んで、逸、合。
 みどり児(嬰児)はエイ・ジと読んで、詠、辞。
 降る山埃はコウ・サン・アイと読んで、控、浅、哀。
☆逸(気楽)に合わせて詠む辞(言葉)を控える。
 浅はかで哀(心を痛めるもの)である。

※一月(新春)のみどり児(嬰児)たちの幸いに、千(たくさん)の愛を!!


若林奮『Ⅲ-3-1』

2021-06-21 06:42:01 | 美術ノート

   Ⅲ-3-1 雰囲気

 男の身体は被われており、顔(頭部)だけが露出している。山(草地)を挟んだ向こう側にはやはり頭部だけを露呈した動物が低く臥せている。
 二者の間を遮蔽する地面、この高さは距離(遠隔地)を現しているのだろうか。

 男は前方を確認しようと立ち、動物(他者)のほうは見えないにもかかわらず隠れようと身を低くしている。隠れているが感じており、男(対象者)を攻撃するために狙っているのかもしれない。
 二者の真意は隠されているが、対象への観察、見えない時空への警戒は共に同じ傾向をもって対立している。

 この対立、何を言おうとしているのだろ。脳の指令、五感の能動、見えない時空への脅威、存在は体制でもある。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『国道の子供たち』6。

2021-06-21 06:18:33 | カフカ覚書

夕方になって、僕はステッキをもったひとりの紳士がゆっくりと散歩して行くのを見た、腕を組み合せた二、三人の女の子が挨拶しながら傍らの草のなかによけてそのひとに道を譲った。


☆終末(この世の終わり)、一つになぅた大群が、ゆっくり留まっているのを見た。哀れな人たちは、対になった作り話を註解しながらも敬意を払っていた。


『飯島晴子』(私的解釈)谷冱てゝ。

2021-06-20 07:35:58 | 飯島晴子

   谷冱てゝ葉蘭のそばに男の子

 谷冱てゝはコク・ゴと読んで、古句、語。
 葉蘭はヨウ・ランと読んで、用、濫。
 そばに男の子(側男子)はソク・ダン・シと読んで、則、断、試。
☆古句の語(言葉)を用いる。
 濫(むやみ)に則(手本として従う)のは断(前もって了解を得る)試みである。

 谷冱てゝはコク・ゴと読んで、克、悟。
 葉蘭はヨウ・ランと読んで、要、覧。
 そばに男の子(側男子)はソク・ダン・シと読んで、即、談、枝。
☆克(十分に)悟(理解する)要は、覧(よく見ることである)。
 即ち、談(話)には、枝(分かれたもの)がある。

 谷冱てゝはコク・コと読んで、哭、孤。
 葉蘭はヨウ・ランと読んで、様、覧。
 そばに男子(側男子)はソク・ナン・シと読んで、惻、難、疵。
☆哭(泣き悲しむ)孤(ひとりぽっち)の様(ようす)を覧(よく見ると)、惻(心を痛める)難(苦しい)疵(きず)がある。


鈴木しづ子(私的解釈)ははの忌の。

2021-06-20 07:09:47 | 鈴木しづ子

   ははの忌の棘美しき枳殻かな

 亡くなってしまった母、今はもう心配して忠告してくれることのない母。
 枳殻の花は白く香りは清涼である。でも、ミカン科はみんなそうであるように棘がある。
 美しい枳殻の棘・・・あなたの子供として美を由として生きているだろうか。ごめんなさい、心に負った傷は癒えないまま、母の忌の前で悔やんでいる。
 母の𠮟責をもう聞くことはない。あなたを苦しめたかもしれない恥ずべき娘の行状の数々、《棘美しき枳殻》を戒めの訓として生きていけたなら・・・。

 ああ、お母さん、嘆かないでください。お母さんの悲しみ(棘)は心の中の訓として活きつづけるのですから。