Ⅲ-1-1 自分の方へ向かう犬
自分は即ちわたしであるが、わたしのほうへ向かう犬は他者(世界)だろうか。
自分という解釈も成り立つ。主観と客観、自分を分離し客観的に自分の領域を俯瞰する構図かもしれない。
自分と犬の間の半円形の溝、水は激しく渦を巻いて動いている。犬にとっての障害、抵抗は自分との距離を遠くし、一致の結果を招かないようにも見える。
犬の不可思議、言葉の欠如、感情の同意性。人が犬に抱く感情は願望が多くを占める。支配であり従属を乞う立場である。しかし、犬は簡単には靡かないかもしれず、関係は必ずしも主従ではない。
犬は自分の方に向かっていると信じている。この信頼性はまさしく(溝)である。泳いでいる犬は陸に上がらなければ死ぬしかない定めであるが、自分は陸となり犬を救助できるか。否、犬は自分であれば救われるのは自分である。
犬が困難な状況であるという説明はないが、水中という相に長く留まることはできない。ここに二者の関係性が問われるのである。
間にある空気の振幅を凝視するものである。
写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館