続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)雪光の。

2021-06-19 07:10:39 | 飯島晴子

   雪光の肝一つぶを吊す谷

 雪光はセツ・コウと読んで、説、構。
 肝一つぶ(肝一粒)はカン・イツ・リュウと読んで、勘、溢、隆。
 吊す谷はチョウ・コクと読んで、重、克。
☆説(物語)の構(組み立て)を勘(調べる/考える)。
 溢(いっぱいになる)隆(もりあがり)を重ね克(力を尽くしてかつ)。

 雪光はセツ・コウと読んで、窃、稿。
 肝一つぶ(肝一粒)はカン・イツ・リツと読んで、換、逸、律。
 吊す谷はチョウ・コクと読んで、懲、酷。
☆窃(秘かに盗んで)稿(下書き)と換(入れ替える)、逸(気楽な)律(成り立ち/やり方)である。
 懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)は酷(容赦なく厳しい)。

 雪光はセツ・コウと読んで、拙、工。
 肝一つぶ(肝一粒)はカン・イツ・リュウと読んで、肝、逸、理由。
 吊す谷はチョウ・コクと読んで、調、告。
☆拙(つたない)工(作業)は肝(重要な部分)が逸(抜けている)。
 理由を調べるようにと、告げる。

 雪光はセツ・コウと読んで、拙、稿。
 肝一つぶ(肝一粒)はカン・イツ・リュウと読んで、艱、逸、留。
 吊す谷はチョウ・コクと読んで、帳、刻。
☆拙稿には艱(悩み苦しみ)が逸(隠れている)。
 留めて帳(ノート)に刻んでいる。


『飯島晴子』(私的解釈)一月の。

2021-06-18 07:25:15 | 飯島晴子

   一月の白砂の寺長い顔で

 一月はイチ・ガツと読んで、一月。
 白砂の寺はハク・シャ・ジと読んで、拍、社、治。
 長い顔はチョウ・ガンと読んで、兆、願。
☆一月(新年)、拍(手のひらを打ち合わせて)社(やしろ)で治(病気を治す)兆(兆し)をお願いする。

 一月はイツ・ゴウと読んで、溢、壕。
 白砂の寺はハク・シャ・ジと読んで、掃く、者、恃。
 長い顔はチョウ・ゲンと読んで、町、限。
☆溢れる壕(土を掘った溝)を掃く者が恃(頼りにする)町の限(境目)。

 一月はイチ・ゴウと読んで、位置、合。
 白砂の寺はハク・サ・ジと読んで、舶、鎖、持。
 長い顔はチョウ・ガンと読んで、潮、岸。
☆位置を合わせる舶(大きな船)。
 鎖で持(もちこたえる)潮(海の水)の岸。

※正月の薄謝(少ない謝礼)の寺、頂くことを願う。


鈴木しづ子(私的解釈)自棄にして。

2021-06-18 07:12:46 | 鈴木しづ子

   自棄にしてかくほどまでに明るむ月

 自分なんかもうどうでもいい…堕ちたかもしれない、愕然とこの身を振り返る。仕方ないねぇ、どうしようもないねぇ、駄目なわたしだよ…。この絶望、この暗闇、この漆黒に皓々と明るむ月、明るすぎるよ、わたしを照らさないでちょうだい。消えてなくなりたいわたしを照らす月よ、なぜ、こんなにも明るむのか。

 希望?そんなものないんだよ。生きていたって…救えるものなら救ってほしい一縷の望み、月はいいねぇ、大きいねぇ。
 ただ黙って、月を見ている。


若林奮『Ⅲ-2-1』

2021-06-18 06:27:03 | 美術ノート

   Ⅲ-2-1〔無題〕

 上面が四角形の立方体、その上に三角の内部が均等に膨らんだ金属板、その三つの角の三つの突起、棒のようなもの二本と仏像めいたものがあり、それぞれ明確な形を刻むことなく曖昧な、しかし明確な主張をもって配置されている。

 三・・・三は動かしがたい数字であり強度を持つ形である。三界、三世、過去・現在・未来の時空etc。
 三つの配置を認識した途端それらを想起するのは、自分の中の知識、経験上のデータ、歴史などの誘因に違いない。全くの無の状況でこの作品を見るべきだろうか。ヒントを黙している、説明がない。
 ただそのことによる広がり、夢想はある。まず、この形を否定できないが、感触は無機的で冷たく言葉による誘いもない。
 無造作に見える三態、その位置、台座の厚み、抜き差しならない空気感、緊張。凝視していると、これは無造作ではなく厳密に図られたものだという気がしてくる。

 目に見えない存在の具象化である。あらゆるものを剥ぎ取ったのちの残存。あるいは太陽・月・地球の関係、父・母・子の関係。有機(木)と無機(金属)の関係。

 時間が経てば劣化、崩壊しうる世界の無常、質疑応答、答えのない緊密な関係への挑戦かもしれない。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『飯島晴子』(私的解釈)雪姥の。

2021-06-17 07:17:08 | 飯島晴子

   雪姥のからだにあはせ雪の木や

※雪が降り積もり風の向きにしなっている光景は、雪姥の化身のようである。

 雪姥はセツ・ボと読んで、説、募。
 からだにあはせ(体合)はテイ・ゴウと読んで、程、豪。
 雪の木はセツ・モクと読んで、接、目。
☆説(話)を募る程(みちのり)は、豪(才知や力が優れている)接(人と会うこと)が目(ねらい)である。

 雪姥はセツ・ボと読んで、窃、模。
 からだにあはせ(体合)はタイ・ゴウと読んで、態、拷。
 雪の木はセツ・ボクと読んで、切、撲。
☆窃(ひそか)に模(似せて作る)態(ありさま)には拷(責めて苦痛を与え)切(断ち切る)僕(わたくし)である。

 雪姥はセツ・ボと読んで、摂、簿。
 からだにあはせ(体合)はタイ・ゴウと読んで、太、合。
 雪の木はセツ・モクと読んで、切、黙。
☆摂(大切にする)簿(ノート)は太(物事の基となるもの)である。
 合(一つに合わせること)を切(すべて)黙っている。


鈴木しづ子(私的解釈)月の夜の。

2021-06-17 07:00:44 | 鈴木しづ子

   月の夜の蹴られて水に沈む石

 皓々とした月明かり、誰もが家の中で安らぎ寛ぎ眠るころ、わたしはひとり月影に立っている。
 違う、どこかが違う、道を外したのだろうか。そんなはずはない・・・わたしは生きている、なお、それでも・・・くりかえす煩悶。
 闇夜の石、手に持つまでもなく、ため息交じりに蹴ってみる。当然のごとく水底に沈んでいった石。石が浮き、軽い葉が沈むと聞いたことがあるが、そんな不条理は通用しない。

 理の当然、石は水に沈むという条理。この世の常に逆らっては生きていけないと、己を嘲笑う。


若林奮『Ⅱ-5-4』

2021-06-17 06:38:00 | 美術ノート

   Ⅱ-5-4 水没Ⅱ

 直方体の台の上に横縞の重複が続く層が乗っている。
 水没とあるが、浮き出ており、没をイメージできない。直方体の台は地球の相(地殻)かもしれない、その上に現れたものは地層。地層のほとんどは水(海や湖)の中で生成される。

 ひっくり返してみた景色であり、地層は噴火などで地表に現出する。歴代の証拠であり、時間をさかのぼることのできる唯一の手掛かりである。

 水没からの~、ということだろうか。原風景の原初、時間による集積の面、その重なり。地球創生への遥かなる思いを究極単純化した作品、そういう感想を抱かせる。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『飯島晴子』(私的解釈)母体ばかり。

2021-06-16 07:18:36 | 飯島晴子

   母体ばかり着き白ダリヤつくる駅

 母体はボ・タイと読んで、墓、代。
 着き白ダリヤはジャク・ハクと読んで、弱、迫。
 つくる駅(作駅)はサ・エキと読んで、削、易。
☆墓を代(変える)弱(気力がない)。
 迫(さしせまり)削って易(とりかえた)。

 母体はボ・タイと読んで、簿、他意。
 着き白ダリアはチャク・ハクと読んで、著、博。
 つくる駅(作駅)はサ・エキと読んで、作、益。
☆簿(ノート)には他意があることが著(明らかになる)。
 博(大きく広げて)作(こしらえる)益(役に立つ)。

 母体はボ・タイと読んで、母、耐。
 着き白ダリヤはジャク・ハクと読んで、弱、迫。
 つくる駅(作駅)はサ・エキと読んで、嗟、益。
☆母は耐(持ちこたえている)が、弱(気力がなくなっている)。
 迫(追い詰める)嗟(嘆き)が益(増えている)。

※新しい型の基になった古い電車ばかりがつく淋しい駅であり、ダイヤの空白をつくる駅、すなわち廃駅である。