リフォームも一段落。後は部屋の家具類配置とごみすて
が残っているが、気分転換にカブでお散歩。
下鴨神社の駐輪場にカブを停めて、そこから河合神社と
上御霊神社を散策。


河合神社
「方丈記」の鴨長明ゆかりの神社。
鴨長明は、この神社の禰宜になれなかったとの説話がある。
境内に「方丈の庵」と鴨長明資料館を公開している。
長明は東側に今も流れる小川を見て、
「石川や 瀬見の小川の 清ければ
月も流れを たずねてすむ」
と歌っている。(古今和歌集に採録されている)

絵馬には方丈記の冒頭「行く川のながれは絶えずして、しかも
本の水にあらず 」が書かれている。

お守りは渋い色合い。

手水舎はちょっと背丈が低いが、石つくりで味わい深い。

神社につきものの鈴はぶらさがっていない。

拝殿の左側には貴布禰(きふね)神社と任部社(とうべのやしろ)
が祭られてあり、特に任部社ご祭神の八咫烏命(やたがらすのみ
こと)は日本サッカー協会のシンボルマークとなっている。
サッカー必勝の守護神として有名。

舞殿にぐるりと灯篭が飾られている。


長明の「方丈の庵」
長明は、50歳のときすべての公職から身を引き大原へ隠とんした。
その後、世の無常と人生のはかなさを随筆として著したのが「方丈記」
である。
大原からほうぼうを転々として、58歳のころ(現在の伏見区日野町)
に落ち着いた。
各地を移動している間に「庵」として仕上げたのがこの「方丈」である。
移動が便利なように全てが組み立て式になっていて、広さは、一丈
(約3m)四方、約2.73坪。畳で五畳半程度。間口、奥行きとも一丈四方
ということから「方丈」の名がついた。


出雲路橋。
今日は変な天気。暗いかと思ったら急に晴れ間がでたりして、歩いて
いても落ち着かない。
出雲路橋を渡り、少し歩くと上御霊神社。

上御霊神社。
ご祭神は崇道天皇、他部親王、井上皇后、火雷神、藤原大夫神、
文屋宮田麿、橘逸勢、吉備大臣とたくさんおられて、「八所御霊」と
称される。

神社の入り口右手には応仁の乱勃発地の石碑がある。
文正2年1月18日(2月22日)の早朝に上御霊の森で始まった。

立派な門がある。
伏見城の四脚門を移築されたものと伝えられている。

すっきりした感じの絵馬。

かわいらしい「よりそい土鈴」が売られていた。

いろいろな種類のお守り。

大き目の手水舎。

松尾芭蕉の句碑。
俳聖松尾芭蕉は元禄3年(1690)当社に参詣「半日は神を友にや年忘」の句を奉納。


舞殿と拝殿。

ちょっと渋めの鈴。


狛犬。
あまり怖さを感じない。

境内の奥には陸軍の砲弾のような物があった。
石碑もあるが、文字がかすれていて読めなかった。
神社を見て歩くのも面白い。
まだ行っていない神社をこれからも散策しょうと思う。
ただ、何を見ていくのかテーマも考える。
鎮守の森、神社の入口の鳥居、御神木のしめ縄、社殿までの参道、
身を清めるための手洗所(手水舎)、社務所、おまもり、本殿(神殿)
拝殿、燈籠、狛犬、賽銭箱、神楽殿、舞殿、絵馬殿、社庭。
これらをきちんと見てまわりたい。
が残っているが、気分転換にカブでお散歩。
下鴨神社の駐輪場にカブを停めて、そこから河合神社と
上御霊神社を散策。


河合神社
「方丈記」の鴨長明ゆかりの神社。
鴨長明は、この神社の禰宜になれなかったとの説話がある。
境内に「方丈の庵」と鴨長明資料館を公開している。
長明は東側に今も流れる小川を見て、
「石川や 瀬見の小川の 清ければ
月も流れを たずねてすむ」
と歌っている。(古今和歌集に採録されている)

絵馬には方丈記の冒頭「行く川のながれは絶えずして、しかも
本の水にあらず 」が書かれている。

お守りは渋い色合い。

手水舎はちょっと背丈が低いが、石つくりで味わい深い。

神社につきものの鈴はぶらさがっていない。

拝殿の左側には貴布禰(きふね)神社と任部社(とうべのやしろ)
が祭られてあり、特に任部社ご祭神の八咫烏命(やたがらすのみ
こと)は日本サッカー協会のシンボルマークとなっている。
サッカー必勝の守護神として有名。

舞殿にぐるりと灯篭が飾られている。


長明の「方丈の庵」
長明は、50歳のときすべての公職から身を引き大原へ隠とんした。
その後、世の無常と人生のはかなさを随筆として著したのが「方丈記」
である。
大原からほうぼうを転々として、58歳のころ(現在の伏見区日野町)
に落ち着いた。
各地を移動している間に「庵」として仕上げたのがこの「方丈」である。
移動が便利なように全てが組み立て式になっていて、広さは、一丈
(約3m)四方、約2.73坪。畳で五畳半程度。間口、奥行きとも一丈四方
ということから「方丈」の名がついた。


出雲路橋。
今日は変な天気。暗いかと思ったら急に晴れ間がでたりして、歩いて
いても落ち着かない。
出雲路橋を渡り、少し歩くと上御霊神社。

上御霊神社。
ご祭神は崇道天皇、他部親王、井上皇后、火雷神、藤原大夫神、
文屋宮田麿、橘逸勢、吉備大臣とたくさんおられて、「八所御霊」と
称される。

神社の入り口右手には応仁の乱勃発地の石碑がある。
文正2年1月18日(2月22日)の早朝に上御霊の森で始まった。

立派な門がある。
伏見城の四脚門を移築されたものと伝えられている。

すっきりした感じの絵馬。

かわいらしい「よりそい土鈴」が売られていた。

いろいろな種類のお守り。

大き目の手水舎。

松尾芭蕉の句碑。
俳聖松尾芭蕉は元禄3年(1690)当社に参詣「半日は神を友にや年忘」の句を奉納。


舞殿と拝殿。

ちょっと渋めの鈴。


狛犬。
あまり怖さを感じない。

境内の奥には陸軍の砲弾のような物があった。
石碑もあるが、文字がかすれていて読めなかった。
神社を見て歩くのも面白い。
まだ行っていない神社をこれからも散策しょうと思う。
ただ、何を見ていくのかテーマも考える。
鎮守の森、神社の入口の鳥居、御神木のしめ縄、社殿までの参道、
身を清めるための手洗所(手水舎)、社務所、おまもり、本殿(神殿)
拝殿、燈籠、狛犬、賽銭箱、神楽殿、舞殿、絵馬殿、社庭。
これらをきちんと見てまわりたい。