ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

ベルギーシリーズ(タリス・パリ行き新幹線)

2008-01-10 08:46:00 | スケッチ



ベルギーシリーズ(カフェメトロポール・ブリュッセル)

江嵜企画代表・Ken



いよいよ帰国の日がやってきた。新幹線、THARYS(タリス)が出る、
ブリュッセル南駅まで、宿泊先のホテルから大型タクシーに乗った。
余裕見て車を手配していたので、駅構内で十分な時間がとれた。

ブリュッセル南駅は、ブリュッセル中央駅と比べもにならないほど
大きくてきれいだ。駅構内にはみやげ物店だけでなく、ファッション専門店も
店を開けていた。ひとの往来が激しく、行きかう人が活き活きしている。

駅プラットホームに上がったら、先便のパリ行きのタリスが出発を
待っているところをスケッチした。

アムステルダム手前のスキポール空港駅まで、スピード優先の日本の新幹線と
違って、窓外の田園風景を楽しみながら、タリスは悠然と走り、2時間足らずで
着いた。

1等車だったが、料金は76ユーロだった。タリスのパンフレットを読むと、
60歳以上(老人)割引、12~26歳(若者)割引、深夜割引、団体割引など
細かく割引制度が設けられていることもわかった。

さすが1等車だからだろうが、頃合いを見ては、飲み物、クッキーなどを
配ってくれた。お金を払った対価に応じることは当たり前のことなのだろう。
1等は座席もゆったりしていた。ベルギーからオランダへ国境を越えたが、
改めてのチエックはなかった。

ユーロ圏は、この先、通貨統合を起爆剤にして、世界のエネルギーを
収斂させ、様々な人種と異文化を飲み込みながら拡大していく予感がする。

スキポール空港は午後1時を過ぎていたが、乗降客でごった返していた。
夜着いたアムステルダムも多くの人が出入りしていた。人もまばらな関空と
彼我の差は決定的である。ただ、テロ対策であろう、出入国検査は
当然のことながら厳格だった。

午後3時15分、離陸、スカンジナビアをすり抜け、シベリア上空を飛び、
中国東北地区から朝鮮半島をまたいで、偏西風に乗って、10時間40分で、
関空に午前11時前に無事着陸した。

あっという間の10日間だった。アントワープ証券取引所で、淀屋常安の
名を記した銅版を目にすることはなかったが、ブリュージュに代って交易の
中心として活躍したアントワープ港の岸壁に立って北海を見た。海辺に建つ
古城も見学した。造船所から証券取引所と続く、歴史の生き証人と
対面できたことは誠に幸いであった。

今回、ベルギーへ行くと言うと、ほとんどのひとが、ブリュージュはきれいな
街ですよとのみ教えてくれた。正直、筆者も半分観光気分だった。ブリュッセル
にしても、EUの本部やECB(欧州中央銀行)がある程度の知識しか
なかった。

この地は、ハンザ同盟にルーツを持ち、ギルドハウスを今に残し、東インド会社を
介しての世界交易のメッカとして活躍した。そしていま、世界遺産の宝庫として
息づいている。

1月1日、新年を祝い、ブリュッセルの街のセンター、ギルドハウスに囲まれた
広場、グランプラスで繰り広げられたライトアップによる夜の祭典は圧巻だった。
行政も心得たものである。魅力ある呼び物を用意すれば、人は集まる
のである。金も使うが、倍返しで、金も落ちる。そんなことは先刻承知なのだろう。

特別の催しがあるから人が集まるのはわかる。居ながらにして街ごと
世界遺産が今に息づいている姿を自分の目で確かめようとして人が
集まるのであろう。

かってマルコポーロもザビエルも、2年以上の歳月をかけて命がけで
日本を訪れたという。それだけの魅力が、当時の日本にはあったので
あろう。呼び声だけでは、魅力乏しい街には、世界から人は
集まって来ない。

淀屋常安が生きていたら、地盤沈下はなはだしい、今の大阪の姿を、
いかなる感慨をもって眺めるのであろうか。(完)

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