ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

ベルギーシリーズ(ゲント・ギルドハウス群)

2008-01-07 11:42:56 | スケッチ



ベルギーシリーズ(ゲント・ギルドハウス群)

江嵜企画代表・Ken



フランドル平原を流れるスヘルド川はゲント付近でレイエ川に
合流している。合流点をケルト語で「ガンダ(GANDA)}といい、
それがゲントという地名になった。ゲントは20の島に70の橋が
架かる町となった。(谷克二・武田和秀著「ベルギー・フランダース」
(日経BP企画発行)

同著によれば、北海からスヘルド川を遡って運びこまれた船荷は
ゲントに一端下ろされ、荷分けして積み替えた後、運河でさらに
町の各所に運んだとある。

運河をはさんでスケッチした。画面左手が肉市場、魚市場、右手が,
塩市場、パン市場、野菜市場の跡である。

淀屋橋は、土佐堀川に架かる橋である。橋名の由来は、豪商・淀屋が
架橋・管理したことによる。淀屋は、常安の子、二代目、淀屋言当の時代、
最も繁栄したといわれる。

江戸時代、大阪は水の都と言われ、経済の中心として栄えた。
今は街中を縦横に走っていた無数の堀も埋められ、高速道路が
無粋にも走っている。

淀屋橋を挟んで南側の御堂筋沿いのビルは高さ31メートルに
制限されていた。現在70メートルまで緩和されている。それも
2011年をメドに超高層ビルが林立することになるという。

淀屋二代目、言当(ゲントウ)は、GENT(ゲント)を訪れたので
あろうか。興味は尽きない。(了)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベルギーシリーズ(ゲント・トラム車中)

2008-01-07 11:39:11 | スケッチ



ベルギーシリーズ(ゲント・トラム車中)

江嵜企画代表・Ken



ゲント駅までトラム(路面電車)に乗った。駅から街中まで
徒歩なら40分はかかる距離だが10分強で着いた。

トラムは、街中を縦横に走っており、トラムを気軽に乗り降り
しながら観光する人も少なくないようだ。トラムの料金は
距離関係なしに、通しの値段で、1.2ユーロ(200円)である。
10回乗り券を買えば、割安になる。

トラムもいいいが、ゲントを再び訪れる機会に恵まれたら、
川の両岸に並ぶ、中世の歴史を刻んだ建物を眺めながら、
レイエ川を、遡るのも一興であろう。

12世紀末に築かれ、20世紀はじめに再建されたという
フランドル伯の居城からのゲントの街の眺めもお勧めである。
鏡楼と繊維ホールを城の中からあらためて眺めることが出来た。

城の中には、往時の甲冑、槍、刀、銃など武具が展示されていた。
戦には処刑はつきものだが、ギロチンを始め、首吊り道具など
処刑に使われた様々な道具・しかけが、展示されていた。

日本には原爆ドームや戦争の悲惨さを伝える展示物が
年を追うごとに、むごいとして撤去されるているという。
ゲントの古城を訪れて、歴史の姿を、ありのままに見せる
姿勢を目のあたりにした次第である。(了)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベルギーシリーズ(ブルージュ・ブルグ広場)

2008-01-07 11:36:59 | スケッチ



ベルギーシリーズ(ブルージュ・ブルグ広場)

江嵜企画代表・Ken



ブラッセル中央駅から急行列車でお目当ての街、
ブルージュを訪れた。ブルージュは、日本でもベルギー観光の
目玉となっているようで、ゲントと違い、日本人の観光客の
姿も見られた。

谷克二著 「ベルギー・フランダース」(日経BP企画)によれば、
ブルージュの名前は、バイキング(ノルマン人)が、ガリア人や
ローマ人のあと入植、ノルウエーの古語「ブリギア」に
由来するとある。ジェノバ商人、ブルズ(Bruze)の家に
由来するとの説もあるから諸説あるのであろう。

上記著書によれば、10世紀のブルージュは、レイエ川の
河口に出来た自然港「ズウインの入り江」と運河でつながり、
商業都市として栄えた。

フランドル産の繊維(リネン・亜麻)は当時売れ筋商品で
、その後毛織物に代ったが、富の源泉はは繊維であった。

ブルージュの中心はマルクト市場とブルク広場である。
ブルク広場の真ん中には、1302年、市民蜂起した
英雄、ヤン・ブレーデルとビーター・コニンググの像がある。

像の周りにはみやげ物店が取り囲んでいた。観光用の馬車待ちの
長い列が出来ていた。一人13ユーロで15~20分で街中を巡回している。


ブルージュは15世紀まで栄えたが、土砂の堆積で船の航行が
不能になり、商人はアントワープに活動の場を移した。その後
400年間、ひとの目にふれるkともなく、ブルージュは死んだ町
として埋もれてしまったと伝えられる。

ブルグ広場をスケッチした。画面正面の建物は市庁舎、その左が
旧公文書館、右が聖血礼拝堂である。(了)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベルギーシリーズ(ブルズの家)

2008-01-07 11:31:40 | スケッチ



ベルギーシリーズ(ブルズの家)

江嵜企画代表・Ken



ブルグ広場から路地を入って数分のところに
ブルーズの家(Huis Ter Bruze)1276年とある
プレートが貼り付けられていた建物を見つけて
スケッチした。

薄汚いといえば御幣があるが、なんの変哲もない
建物の1階で、ブルズ家は証券を取引をしていた。
2階から上は宿屋として使われていたという。

入り口正面にブルグ家のイニシアル、並んで、馬蹄形の
文様を併せスケッチした。文様には1493年と記されていた。
馬蹄形の文様は、ブルスの家が、宿屋として使われていた
紛れもない証拠である。

ブルズ家の裏通りに回ったところ、建物に、財布を3つ並べた
文様が貼り付けてあった。財布は商品取り引きを示す
標しだと聞いた。

ところで、ドイツ語のBorse(ヴュルザ)、フランス語のBourse(ブルス)は
いずれも、Bruze家のBruzeを語源としているという。

ドイツ語のヴュルザは、①財布,②取引所を、フランス語の
ブルスは、①財布、②証券取引所をそれぞれ意味すると辞書にあった。
共に財布を第一義としているところが面白い。

ブルズの家をスケッチしていたところ二人の男が近寄ってきた。
今回の旅行のリーダーの淀屋研究家、佐藤正人さんが
応対した。

二人はベルリン大学の学生だった。彼らによればブルズ家から
150メートルの距離にブルージュで最初に開かれた商品取引所の
建物があるというので尋ねた。

ブルズ家を自分の目で確かめられたことは今回のベルギー旅行の
最大の収穫である。(了)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする