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原油相場、景気後退から一部に67ドルの見方も(学校で教えてくれない経済学)

2008-01-28 20:42:36 | 経済学
 1月28日付けのWSJ紙電子版に、一部原油専門家の見方として、米シカゴ、Alaron Trading Corp,アナリスト、Phill Flynn氏が、「原油相場(WTI)は、早ければ、ガソリンが不需要期に入る、今年3月なし4月に、バレル67ドルまで値下がりする」と大胆予測していると紹介した。

 同氏は、「米国経済は、既に、リセッションに入っており、米国以外の国々も、早晩、リセッション入りする。世界景気が後退すれば、原油需要は減少する。価格に圧力がかかる。それに伴い、過去5年間続いた、原油上昇トレンドは終わる。」と話している。

ただ、現時点では、2008年の世界の原油需要については、見方はまちまちである。OPEC(石油輸出国機構)は、08年1~3月期、日量87.4百万バレル,同4~6月期、85.6百万バレルと需要は落ちる。現在の原油高騰は、投機的な、作られた相場と見ている。

一方、国際エネルギー機関(IEA)は、08年1~3月期、88.2百万バレル、同4~6月期、86.7百万バレルと予測している。OPECもIEAも、今年に入ってからは、石油の需要見通しを修正していない。

在ニューヨーク、ドイツ銀行、チーフエコノミスト、Adam Sieminski氏は、2008年の原油相場(WTI)は、年間平均で、バレル85ドル、08年4~6月平均、バレル80ドルと予測している。原油相場は、世界景気のバロメーターだから、景気後退を予見している。

今週末、ウイーンで開かれる、OPEC総会を控えて、OPECは、原油は世界的に、十分供給されており、追加生産の必要はないとのスタンスを堅持している。原油相場の値下がりは、国家予算の枠組み変更を迫るから、OPECにとって、原油増産は禁句であろう。

NY原油相場(WTI)は、08年1月3日、バレル100.09ドルと過去最高値を記録した。その後材料で尽くしから、利益確定の売りに押され、高値から10%近く値下がり、バレル90ドル前後で推移している。下げても80ドル、高値圏での推移が予測される。

先日、ベルギー訪問の機会があり、途中、アムステルダム上空から見る街が、妙に暗いことに気がついた。空港からホテルまで、街が暗い為、車のヘッドライトが明るく感じた。オランダは電気を輸入している。徹底した節電が強制的に実施されていることが分かった。

それに引き比べて日本はどうか。電気も水も使い放題である。重油生炊きにより、温室栽培で出来た、季節はずれの野菜や果物が、店頭に山積みされている。日本人の常として、深刻な事態に直面して始めて、大騒ぎするのであろう。(了)

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玉村豊男氏、「父を語る」(玉村方久斗展)

2008-01-28 11:10:04 | スケッチ



玉村豊男氏、「父を語る」(玉村方久斗展)

江嵜企画代表・Ken



 玉村方久斗展が、京都国立近代美術館(075-7561-4111)で、1月8日から2月17日期間開かれている。方久斗(ほくと))と聞いて、自虐的な絵を描く日本画家と答えるひとも稀にいるが、一般にはほとんど知られいない。展覧会には140点の絵と雑誌など展示されており、見ごたえがあった。

 一方、玉村豊男氏は、おびただしい数の本を出し、テレビにもしばしば出演しておられる、俗に言う有名人の一人である。恥ずかしながら、この日まで、豊男氏は知らなかった。方久斗のことは、遠縁の吉田義三郎から、大昔、ちらっと聞いたことがあった。義三郎の長男、吉田勇から、玉村豊男氏が、講演すると聞いたので、楽しみにして出かけた。

 方久斗展を小1時間かけて、じっくり見た。講演は、午後1時半から始まり、質問入れて3時までだったが、豊男氏のひとことひとことに、父に対する熱い想いが、びんびん胸に響いてきた。

 豊男氏は、方久斗の8男で、末っ子。父を5歳のときになくしている。よって、母親から聞いた話が中心になる。方久斗は、絵を描くのが早く、旅先で、宴席を前にして描いた沢山の絵が、いま、全国で発見されている。絵を描いて宿代の足にもしたようだ。

 たまにお金が入ると、出版や宴席に使った。相撲取りを呼んだりもしたそうだ。絵の勉強もしたが、書の勉強もしていたようだ。方久斗が名を残した、「雨月物語」絵巻は、圧巻であるが、絵に添えられた字は、書のたしなみのない筆者が見ても、並々ならぬ風格を感じた。

 お金は、家計に入らなかった。余りに芸術家過ぎてお金がない。「絵描きにはなるな」というのが母親の口癖だった。その息子の自分が、絵描きになり、もの書きをしている、と豊男氏は、呵々大笑された。その笑顔が実に、すばらしかった。豊男氏が、いかに、おおらかに、日々送っておられることが、正直に笑顔に出ていた。

 方久斗がなくなる前、「そらで絵を描くな。よく見て描きなさい」といった言葉をよく覚えているという。「父がモノをよく見て絵を描いている姿は記憶していない」、とここでまた、笑顔が出た。 母親から聞いた話で、なくなる前の年に、「これからは、売れるような絵を描くからな」といったそうだ。方久斗は売る絵は描かなかった。

 面白いエピソードが紹介された。東京大空襲のとき、「防空壕にはいると死ぬ。おれは一人でも生き残る。生きてすばらしい絵を描きたい」と言って、母と大喧嘩になったと母親が話していたのを覚えているそうだ。

 方久斗は、京都なまりが抜けなかった。絵の仕事しか関心がなかった。東京に出て、3人の子連れの母と再婚した。母親は再婚して5人子供を生んだ。豊男氏は末子。神童の誉れ高かったという、すぐ上の兄は5歳で夭折した。兄が死んだとき懐妊したらしいので、兄の生まれ変わりだと母親が話していた。

 豊男氏は、大病をした。不思議と生還した。転んでクギが眉間に刺さった。ところが両目のど真ん中だったので事なきを得た。パリでの留学時代ふくめたびたびの事故や事件を無事切り抜けた。兄の生まれ変わりだと実感すると、話された。

 今回の「玉村方久斗展」は、大がかりな個展としてははじめてだそうだ。今回の展覧会をきっかけにして、方久斗の絵が見直されそうな予感がする。

 豊男氏は、明るいトーンの上下のスーツが実に良く似合う。現在は、長野県東部町に住んで、農業。執筆、絵と悠然と生きておられるそうだ。

 講演会場の様子を軽くスケッチした。ご婦人の客が多かった。(了)

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