眼科待合室風景;県立西宮病院
江嵜企画代表・Ken
兵庫県立西宮病院へ朝一番で定期健診に出かけた。朝9時から始まる診察30分前から眼科の待合室風景をスケッチした。
当病院とのご縁は昭和53(1978)年3月14日に網膜はく離で入院、16日、市橋先生に手術をしていただいた時以来だから丁度32年になる。当時の入院日誌はいつも手元に置いている。時々見ては、健康のありがたさをかみしめている次第である。
その年の3月11日、ゴルフプレー中に急に視野が狭くなった。昭和53年は合繊業界が不況の真っただ中で、政府主導の勧告躁短の渦中にあった。眼の異変に気付きながらも、神戸の自宅近くの青木港からフエリーに乗り、帝人松山へ向かった時のことを鮮明に記憶している。
昭和53年は成田空港建設反対で所沢の管制塔が襲撃され大変な騒ぎになったニュースを病室で携帯ラジオで聴いた。53年も不況だった。いまも不況で大変だ、大変だと騒いでいるが当時と比べればいまの不況は贅沢な不況だと常々思う。
話がそれた。今朝の検診では、網膜剥離については異常なしだった。ところが、先年受けた白内障手術で挿入したレンズがずれているとの診断が出た。白内障はレンズを入れるのは簡単である。ただ、入れたレンズにトラブルが発生するとレンズを取り出すために最低2時間かかる大変な手術になると今朝、担当医から聞いて多少落ち着かない。
どこが悪くても生活のリズムが狂う。特に眼では苦労する。今日のところは次回4月20日の検診まで様子を見るということで帰宅した。
先日はたかがパソコン不調でとおもうが、そのために大いに生活のリズムを崩した。今回は眼である。パソコンは今では生活の一部になっているが、パソコンも「休眠」することになるかもしれないと思うと憂鬱だ。(了)