ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

眼科待合室風景;県立西宮病院 (スケッチ&コメント)

2009-03-16 22:40:15 | スケッチ


眼科待合室風景;県立西宮病院

江嵜企画代表・Ken



兵庫県立西宮病院へ朝一番で定期健診に出かけた。朝9時から始まる診察30分前から眼科の待合室風景をスケッチした。
 当病院とのご縁は昭和53(1978)年3月14日に網膜はく離で入院、16日、市橋先生に手術をしていただいた時以来だから丁度32年になる。当時の入院日誌はいつも手元に置いている。時々見ては、健康のありがたさをかみしめている次第である。
 その年の3月11日、ゴルフプレー中に急に視野が狭くなった。昭和53年は合繊業界が不況の真っただ中で、政府主導の勧告躁短の渦中にあった。眼の異変に気付きながらも、神戸の自宅近くの青木港からフエリーに乗り、帝人松山へ向かった時のことを鮮明に記憶している。
 昭和53年は成田空港建設反対で所沢の管制塔が襲撃され大変な騒ぎになったニュースを病室で携帯ラジオで聴いた。53年も不況だった。いまも不況で大変だ、大変だと騒いでいるが当時と比べればいまの不況は贅沢な不況だと常々思う。
 話がそれた。今朝の検診では、網膜剥離については異常なしだった。ところが、先年受けた白内障手術で挿入したレンズがずれているとの診断が出た。白内障はレンズを入れるのは簡単である。ただ、入れたレンズにトラブルが発生するとレンズを取り出すために最低2時間かかる大変な手術になると今朝、担当医から聞いて多少落ち着かない。
 どこが悪くても生活のリズムが狂う。特に眼では苦労する。今日のところは次回4月20日の検診まで様子を見るということで帰宅した。
 先日はたかがパソコン不調でとおもうが、そのために大いに生活のリズムを崩した。今回は眼である。パソコンは今では生活の一部になっているが、パソコンも「休眠」することになるかもしれないと思うと憂鬱だ。(了)

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山崎ハコ White Day Live(スケッチ&コメント)

2009-03-16 00:08:03 | スケッチ


山崎ハコ White Day Live

江嵜企画代表・Ken



山崎ハコ White Day Live を神戸酒心館ホールで家族と堪能した。

 朱色をベースにあしらった柄の着物を仕立て直したドレスを身につけていた。ドレスの色が躍動感あふれる彼女のエネルギーと見事に調和していた。朱色でもいろいろある。朱に赤い絵の具を2,3滴小皿に落として丁寧に混ぜたら出来そうな色である。赤味が微妙に効いた、どちらかといえば、紅に近い色だ。

 ギターを弾きながら、座ったまま歌う。それは彼女の今の体調のせいかもしれない。「ファンの方に、体だけには、注意してねと、いつも言われている」と話していた。それでもギターを置いて、歌だけのときは、体全体がクルマエビのように跳ねた。

 ドレスの話をはじめた。神戸コンサート実行委員会の仕事を手伝ってくれている友達の一人が、「今回(の衣装)は、サプライズ」というから、「お任せしますと言っていたら、この素敵なドレスが届いた。好きです。」とニコニコしながら話された。

 彼女は大分県日田に生まれた。ブログを調べたら、1957年5月18日生まれとある。彼女が最初にステ―ジに現れたときには、60はとうに過ぎている人かなと正直おもった。陰影の深い表情が実際の年齢以上に見せたのかもしれない。
 
 34年の歌手生活には様々の出来事があった。「借家を大家さんに突然出て行け」と言われた。その時もファンの方に助けてもらった。いまも感謝しています」と話した。芸の道30数年の間には人には言えないご苦労があったに違いない。

 ところが一曲ごとに表情が明るくなり最後の曲でははじけるような笑顔になった。歌こそが今の彼女の生命力の源泉なのだろう。彼女の笑顔がはじけ、歌を聴くひとがエネルギーもらう。プラスの循環がそこから生まれるのであろう。

 「九州の川の町で生まれました。橋と川がいつも自分のまわりにありました。カランコロンと下駄はいて、鵜飼みて育った。母さんが飲み屋してて、よく店に行きました。九州から最初に出たのが横浜です」と話した。

 ブログによれば、1974年に「ジョイナス・ニューフォーク・コンペチション」優勝と出ている。「その時はまだ高校でした。プロになったのです。もし、受からなよかったら、どうだったかと思ったりします。」とトークを続けた。

 この日のステ―ジは、午後6時から始まった。会場の様子をいつものようにスケッチした。会場の照明が演奏開始直前に消されたのでいささか慌てた。280名は入れる会場は開演前に満席になった。なんとご婦人の姿が極めて少ない。演奏を聴いた後だから言えるが、男心をつかんで離さない独特の魅力を彼女の歌とトークに備えていると実感した。

 彼女は多くのCDを出している。東映映画「青春の門」(五木寛之原作)のイメージソング「織江の歌」など数々のヒットソングを生み出した。多くの映画にも出演している。韓国ドラマ「美しき日々」テーマ曲「約束」(歌:ディン・フェイ)の日本語歌詞も担当した。活動幅が実に広い。

 歌舞伎役者、中村梅雀や島倉千代子とも親交が深いとトークの中で話していた。梅雀さんの奥さんが神戸出身ということもあり、神戸には愛着がありますと話していた。

 「テッセン子守唄」という歌が印象に強く残った。「濃~い、紫の色が好きです。か細い枝、それが折れそうで折れない。だから鉄線」とトークをづづけた。一日一日を精一杯生きていますと言った。舞台で演奏する彼女の姿から、つきささるように伝わってきた。

 心に深く残る歌手との出会いを用意してくれた神戸酒心館に感謝である。(了)

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