ピアノリサイタル風景
江嵜企画代表・Ken
ミハイル・カンディンスキ―さんのピアノリサイタルが、母校の創立記念音楽祭として、高等学校講堂で開かれる。たまたまその日、所用があり行けない。時間が許せば、いかがと、同窓のSさんから連絡をもらい、楽しみにして出かけた。
同窓会の仕事で甲山ふもとにある母校はしばしば訪れたことがあるが、講堂に入るのは初めてだった。JR摂津本山駅で阪急に乗り換え、甲陽線の甲陽園駅で降り、結構急な上り坂をゆっくり徒歩約20分、開演15分前の午後1時15分に会場に着いた。講堂は約700人入るそうで、在校生とその家族などでほぼ満席だった。会場の様子をいつものようにスケッチした。
ミハイル・カンディンスキーさんというピアニストは恥ずかしながら初めて知った。黒の燕尾服、長身を折り曲げるように深々と一礼されたあと、ポーランドの作曲家、ショパン(1810~1907),ノクターン{夜想曲}変イ長調0p.32-2という清澄な調べから演奏が始まった。
最初の曲は、あれっと、思うほど短く終わった。一礼されて舞台から消えた。休憩かと、思ったら、すぐまた舞台に姿を見せて、ノルウエイの作曲家、E.グリ―グ(1843~1907),抒情小曲集が6曲、続いた。正直、こう言う文が書けるのも、第54回生、相愛大学教授、音楽学教授、黒坂俊和氏が用意された解説文があるからである。
ロシアのM.I.グリンカ(1804~1857)作曲、M.A.パラキレフが編曲したという歌曲「ひばり」が良かった。解説によれば「優雅で清澄な旋律」だった。テンポがゆったりとしていて、文字通り清澄そのもである。だから、というわけでもなかろうが、会場そこここで、船を漕ぐ姿が見られた。
15分の「休憩」のあと、ロシア生まれのS.ポロコフィエフ(1891~1953)
S.ラフマ二ノフ(1873~1943)作曲の演奏が続き、3時15分過ぎに予定のプログラムは終わった。上品にアンコールを催促する拍手が起った。カンディンスキーさんは、三度目のアンコールで、いたずらっぽく、笑顔で「これでおしまいです」と日本語で話された。
カンディンスキーさんは、1973年ロシアで生まれた。2000年に日本に来られ精力的に演奏活動を展開、現在、洗足学園音楽大学講師、ヴァンク―ル音楽院特別講師である。大画家W.カンディンスキーの家系に当たるとパンフレットにあった。カンディンスキー展がたまたま地元、兵庫県立美術館で開催中と聞いたので、是非鑑賞したいと思っている。
帰路、最寄駅の阪急御影駅から数分のところにある香雪美術館(078-841-0652)に立ち寄った。5月8日まで開催中の「田渕俊夫特別展 澄みわたる四季」を堪能した。花のスケッチを数点見られたのは大収穫だった。
田渕俊夫略年譜によれば、昭和16年(1941)東京生まれ、一浪して東京芸大美術学部日本画専攻とあった。在学中の成績は下から二番目だったなどとわざわざ展示作品に添えられた解説にあった。日々試行錯誤、研鑚を経て今日あるのであろう。30数点が展示されている。絵に添えられた文を拝見しながら一点一点の作品を追って行くと、氏の生き様が浮き彫りされて来るように思えた。
この日は、カンディンスキーさんの清澄なピアノ演奏ではじまり、同じく清澄な田渕画伯の絵を鑑賞する機会に恵まれた。夜は英ウイリアム王子とケイトさんの結婚式の様子の一部始終をテレビ桟敷で堪能した。音楽、絵に限らない。人生、日常にありの感を日々、益々強くする今日この頃である。(了)