春日さん(神戸市東灘区北青木)
江嵜企画代表・Ken
夜来の雨も上がり、16日早朝、例の更地パトロ―を終えたあと、地元の神社の春日さんが呼んでおられるような気がした。足を延ばして、北青木の春日さん(春日神社)へ出かけた。神さんごとだと思うが、たまたまその日が、例祭の日で、朝9時から始まる祭礼の準備中だった。拝殿を背景に運び込まれたばかりのお神輿を入れて拝殿をスケッチすることが出来た。
春日神社は、平成7年(1985年)1月17日、午前5時46分、淡路島北部を震源とするM7.3の大震災で全壊した。震災後、長年仮設の拝殿を設けて来た。平成22年11月、震災後15年を契機に拝殿再建が立案され、地元有志の奉賛をつのることを決め、平成23年6月に完成したと、奉賛金を寄せられた方々を顕彰する記念碑にあった。
本社境内には水災復興記念と彫り込まれた巨岩がある。「昭和13年(1938年)7月5日阪神間六甲山麓を襲いたる水災の為、天井川を氾濫せしめついに西青木全区五百余戸に甚大なる水禍をもたらすも、約二萬五千円の費用で、同年十二月末復興、流石に刻んで記念とす。」とあり、奉賛金を寄せられた方々の名前が刻まれている。
亡父は淡路阪神大震災のとき、水害、空襲、震災と人生で3度も被害を受けたと神戸から避難先の大阪へ長男の車の中で嘆いていたことを昨日のことのように思い出す。表向き神戸は復興したことになっている。個々の被災者はいまなお負の遺産を抱えている。そんな環境下にあって、神戸市内で被災した数多くの神社が地域の氏子により再建されていく姿を見聞すると、神社に対する信仰心に裏付けられたものであろうが、日本人ひとりひとりに秘められた力を改めて実感する。
「神戸の神社」(兵庫県神社庁)によれば、当社は、住吉の神が鎮祀されたとき、当地旧西青木(現北青木)が供米の地と定められていた。徳川時代には山路庄(住吉・野寄・岡本・田中・横屋・魚崎・西青木の七ケ村)に属していたとあった。本住吉神社の夏祭りの5月4,5日には、北青木の山車(だんじり)も本住吉神社に宮入りする。
例祭ということで、この日は山車もでた。子供神輿も募集されており、選ばれた子供6人が神官にお祓いを受けていた。子供の時の経験はいついつまでも忘れないものである。戦争のない平和な時代が続くことが大前提であるが、日本の良き伝統が、孫や子の時代を超えて末永く伝承されていくことを願うばかりである。(了)