第102回「直観塾」風景
江嵜企画代表・Ken
作家の佐藤眞生さんが卓話者として「直観塾」で「足るを知る」を語ると聞いて、茨木にある文明館へ出かけた。この日は大学二回生の二人がインタ―ンシップ制度を活用して特別参加していたこともあり、参加者と中身の濃い討論が出来、収穫大だった。
今なぜ「足るを知る」ことが大切かと、佐藤さんは口火を切った。電子書籍「足るを知る」をこのほど出版された。当の書物は「いま世の中は、全ての価値基準が利害得失に置かれている」からはじまる。「生命よりも何よりも貨幣価値が優先する」と続く。佐藤さんを出版へ突き動かしたきっかけは、フクシマ原発事故、3:11だった。
あの時以来、いままでの価値観が根底から覆された。原子力は人類が手出ししてはならないエネルギーだからだと改めて教えてくれたと。1954年、マーシャル諸島でアメリカの原発実験が行われた。1990年にようやく事故調査が始まったが、実験後5年目の死亡率が最も高いことが分かった。フクシマもそうならなければいいが、と憂慮していると言葉を詰らせた。
「足るを知る」。言葉自体は難しい。イタリア人の友人とやりとりしたら、貧乏しない程度に、家族全員が暮らせたらいいという意味でイタリアでも使われると話していたそうだ。 「足るを知る」の根源の意味は、「人間が生かされている存在だということを知ることだと思う」と話を続けた。宮大工の棟梁・西岡常一は、生きとし生けるものは自然の分身だという。宇宙飛行士達が宇宙から地球を見て感じる共通の言葉は「スピリチュワル・ワンネス」だという。科学で分かっていることはほんのわずかである。
人間は社会に生かされている。人間は宇宙に生かされている。人間は文化によって生かされている。生かされていることを知ると「お蔭様」という言葉が自然に生まれる。特に食べ物に対して人間以外の生き物の命を「いただきます」という意識が当り前になる。生かされて生きるということは、過去でも未来でもない。今、ここであることだ。「ここに」とは生かされているその場であると。今「ここに」あるがままの自分で十分である、と話は続いた。
佐藤さんと「足るを知る」という言葉との出会いは、51年前、竜安寺を訪れた時である。竜安寺は石庭でよく知られている京都の寺である。その庭の裏にあった、えさらに彫ってあった言葉だった。仏教では修行によって到達することが出来る最高の徳目とされている。人間が一生かかっても理解し尽くせない豊かな意味を内包している規範なのであろう。しかし、いまだに人間社会に普遍の規範はない。「足るを知る」が人間の共通の規範になるためには、幾度も幾度もまとめかえしなければならないと、思っていると、佐藤さんは話を終えた。
先の若い二人が「足るを知る」という言葉をどこまで理解してくれたか、定かでない。しかし、今回のような会合に彼らがまず参加したことに敬意を表したい。そこで年寄りと出会い、言葉を交わした経験は、おそらく彼ら二人の宝物になるだろうと、筆者は会場で話した。
最近、年寄り自身が自信を失っている。年寄りが若者に語りかけなくなった。佐藤氏は年寄りとは、読んで字の如く、いろいろなものが寄り集まっていることを意味していると常々話しておられる。貴重な機会を与えていただいた佐藤眞生さんに感謝したい。いつものように会場の様子をスケッチした。(了)