草薙奈津子氏:京都の日本画
江嵜企画代表・Ken
小雪ちらつく京都を三連休の最後の月曜日、散策した。「この日、午前10時半から草薙奈津子氏の「東京から見た。京都の日本画」と題して、京都文化博物館で講演会がある。急な用事が入り行けなくなった。もしよかったら遠慮なく使って下さい」と日本画教室の仲間の一人から予約券をいただき、楽しみにして出かけた。「東京駅から新幹線に乗りわずか2時間半で会場に着いた。京都と東京は、こんなに身近な場所にある。ところがどうして?、と思うくらい、東京と京都は違います。」という草薙氏の講演冒頭の言葉が新鮮だった。
「本当に、東京と京都は違います。」と、自らに納得させるかのように話を続けた。「京都の日本画と東京の日本画が違うのです。」と一気に本論に入った。「京都の日本画は円山応挙の流れをくむ。」と。「円山応挙は丹波の農家の生まれ。写実に絵の基本がある。京都の日本画はやさしい。心、感情が絵に現れる。京都は町人の町である。緒方光琳の絵には町人の呼吸そのものが色濃く残っている。京都は1000年以上の歴史がある。
東京はもともと田舎者の集まりである。小野竹喬も岡山の田舎から出て来た。京都の町が竹喬を京都の画家に変えてしまった。若いころ竹喬の絵を見た時、心もとなく、面白くもなんともない絵だと思った。ところが、今、見て、何気ない風景の中にしみじみとした物を感じると。京都の町は、は人を京都化してしまう。京都の日本画家にDNAの如く埋め込む。
これに対して東京の日本画は武士出身の狩野派に遡る。横山大観は水戸藩の武士の出である。下村寒山は能役者、鼓の家元。武士の家柄だ。歌舞伎でも東京と京都は違う。東京の歌舞伎は荒々しい。東京の日本画は形から入る。東京は観念から入る。頭の中で考える。上から押さえつける絵を描く。士農工商と言われる時代で武士の絵である。これに対して、京都はこころの中をえぐり出して描くから分かり易い。
草薙奈津子氏の父上は京大出、学生時代から祇園に出かけ、出世払いを通したとよく話していたと紹介された。京大は哲学が盛んだ。東大は法学部が主役である。東大は、武士、役人の学問を教えるところ。哲学は東大にはないと、俄然、話が日本画を離れて、エスカレ―トしていった。東山魁夷、平山郁夫も東京の日本画家だが、根底に写実がある。京都から来た結城染井が先生だった。
東京の日本画は身の周りの狭い世界を描いた絵が多い。ひとりひとりが自己主張している。京都は大局的に広い世界を描く。京都は今も昔も同じで周りに美しい景色がある。東京は富士山が遠くに見えるだけで、身近な場所に美しい景色がほとんどない。木の幹は丸い。幹の丸い形を京都の画家は簡単に描いてしまうと。東京の日本画家はそれがなかなか描けない。美しい自然に東京は恵まれていない。舞妓の絵でも東京の日本画は怖い感じがする。
草薙さんはプロジェクターに京都の画家の絵と東京の画家の絵を並べて違いを解説した。新古典主義の代表として小林古径の「古都」の絵が紹介された。形から入っている。上昇志向が絵に出ている。安田靫彦の「いざ鎌倉」の絵が紹介された。有職故実を勉強して描いた。マネして描いた絵は訴えるものがないと手厳しかった。
現代の京都の日本画家のひとりとして、猪熊佳子さんのニュジーランドで描かれた絵を紹介した。今大変な人気の日本画家だと前置きして、次に森田りえ子さんの糸菊の絵がプロジェクタ―に現れた。「技術がしっかりしている。絵を見た人を気持ちよくさせてくれる。プロとしてのうまさだ。ただ、花鳥画に留まらないでもっと大きな絵を描いてほしい」と草薙さんは森田りえ子画伯にエ―ルを送った。
一時間半の講演を短い紙数に書ききれない。鏑木清方、竹内栖鳳、上村松園ほか多くの日本画家の絵が紹介されたが省略する。その他、不正確な記述も多々あると思う。自らの忘備録を兼ねて書き残した次第である。ご笑覧いただければありがたい。(了)