「神武説話の信と疑を考える」:平井良朋先生、元天理大学教授講演
江嵜企画代表・Ken
2月11日は紀元節が建国記念日と呼ばれるようになって50年以上経つ。「神武説話
の信と疑を考える」のタイトルにいたく刺激され、2月9日、午後1時半から西宮文化
協会2月行事として開かれた元天理大学教授、平井良朋先生の講演会へ楽しみにして
出かけた。
平井先生は、昭和5年(1930)のお生まれ、御年84歳。話は『日本書記』の文献紹介
から、お歳なりとお見受けした穏やかな語り口調ではじまった。ところが話が佳境に
入るとエンジン全開、身振り手振り,熱弁止まらず、終わったのは予定時間を30分
オーバーの3時半に近かった。邪馬台国の話もしたかった。時間がない。是非また機
会あれば話したいと話を結ばれた。空席なしの会場から大きな拍手が沸き上がった。
講演に先立ち、山下会長から、平井先生の西宮文化協会での講演は今回が3度目。
父上は西宮神社の宮司さん、ご本人は、西宮神社の境内で生まれた。西宮文化協会の
発起人の一人としても名を連ねておられる。近くの浜脇小学校を卒業され、西宮神社
に大変ご縁のある方だと紹介された。
『日本書記』及び『古事記』によれば、「神武天皇は、第一代の天皇で、皇室の祖
先とされる。その名は『日本書記』神代の一書(あるふみ)によれば、神日本磐余彦尊
(かんやまといわれひこのみこと)という。(中略)磐余彦は畝傍山(うねびやま)
の東南橿原(かしはら)の地に帝宅を造り辛酉の歳帝位に即いた。(中略)在位七十
六年寿百二十七歳で崩じ畝傍山東北陵に葬った。」と中村一郎氏の文の紹介から始
まった。
平井先生によれば、神武天皇は、4世紀ごろ北九州から本州中央部の河内・大和へ
移遷したとされる。政権を正当化して位置づけるため、飛鳥時代以来幾度か試みられ
た後に成立した史書『古事記』『日本書記』中の英雄説話として語られた。しかし、
この人物が初代天皇として樫原の宮に即位し、その年代が西暦紀元前660年にありと
する記述は、近世末期以来諸学者に疑問視され、今日の学会ではすでに否定されてい
る。紀元節を経て、建国記念日の2月11日は、戦後、国会審議など数多の論争の末、
神武天皇が即位したとされる紀元前660年2月1日にちなんで設定された。
学問的にいえば、疑問点があまりにも多い。第21代天皇の雄略天皇の頃より実年代
に近づく。『日本書記』には41代持統天皇まであるが、『古事記』に33代推古天皇以
降記載がない。初代神武天皇以降、2代目は1代目の子、3代目は2代目の子などと続
く。おかしいと思う点の一つは天皇の寿命が長いことだ。『日本書記』によれば神武
天皇は127歳、5代目は113歳、6代目は137歳など15代までで100歳以上が10人と多い。
神武天皇は、いわば植民団の酋長のような人物だった。既存の勢力と折り合いを附
けなければならない。いきなり新しい土地に攻め込み即大王の立場に座れない。空白
を穴埋めするために100歳以上の寿命にして天皇を並べた。自身神道出の身である。
学問の世界は別と割り切れるようになってすっきりしたと話された学者としての平井
先生のことばが印象に強く残った。(了)