織姫伝説から近代織物まで
西陣織伝統工芸士、小玉紫泉氏を講師に迎えて「織姫伝説から近代織物まで」と題して西宮文化協会五月行事が5月19日(金)13時半から西宮神社会館で開かれ楽しみに出かけた。会場の様子をいつものようにスケッチした。
吉井良明、同会会長から「本日は足元のわるいとこころ参加いただきありがとうございます。窓から見える景色をご覧ください。雨で青葉が一層映える新緑が一番鮮やかな時節の文化講演会となりました」との挨拶のあと森田理事から「小玉紫泉さんは、つづれ織の独自の技法の開発で2006年の文部科学大臣賞はじめ数々の賞を受賞、2016年には「京の名工」に認定されました。会場にはつづれ織の帯、着物、糸,製作用具などが展示されています。講演会のあと、講師ともご歓談いただければ幸いです。」と紹介があった。
2013年放送のNHKテレビ「趣味Do楽、京のハンサムウーマン」と題する約15分のビデオ放映から講演会がはじまった。
「9歳から小・中・高を西宮で学んだ。21歳で結婚、京都西陣に住む夫の両親と同居した。洋裁をやるつもりだったが「西陣に住んでいるんだから」と姑さんに勧められたあと、2~3年のつもりで28歳の時につづれ織の会社に就職したが、70歳の今まで続けることになる。」と話しをはじめた。
「勉強していたところ四半世紀半ば、中国大陸から2人の染職人=織姫が西宮に上陸したことを知った。」と続けた。会場正面に松原神社の「染殿池」のいわれを映した。「2人はクレハトリ、アヤハトリといい、故国を偲んで木の下で、池の清水を汲み、糸を染め,機を織ったので、ここを染殿池と呼ぶようになった。今もある染殿町、津門綾羽町、津門呉羽町はこの伝承により生まれた。」とある。」と紹介した。「中国から来た織姫伝承には池田市の呉服(クレハ)神社には4人の織姫が技術を伝えたとある。池田市に綾羽、呉羽という町名が今もある。着物のことを呉服とも呼ぶが、呉服神社のいわれから来た。」と話した。
「絹織物は19世紀に世界的ブームが起り輸出が大きく伸びた。フランスで日本の蚕が評判になり蚕も輸出された。日本最初の製糸工場の富岡製糸場が誕生する。フランスの絹の産地のリヨンは日本の蚕のお陰で復活した。是非工場を見たいと多くが西陣の工場見学に訪れた。あと愛知県で豊田自動織機が開発された。特に外貨獲得で日本経済発展に絹織物産業は大きく貢献した。」と話した。
「つづれ織は1,000回機(ハタ)を動かして20センチです。5回で1ミリです。時間がかかります。大変な仕事なんです。糸の長さで厚みが出ます。100年もちます。」と話した。「爪掻きつづれ織です」と話し「自分の爪です」と映像に映した。
「つづれ織りを見ると織られた時代が分かります。数学が必要な仕事です。文明の進み方が分ります。」と力を込めた。「西陣織は世界一です。12,3年前、駐日フランス大使が来られて、がんばってくださいと言われた。」と言って話を終えた。
西陣織つづれ織り元、「織匠小玉」のホームページに「西陣織(つづれ織)の技術を体験、オリジナル作品を制作する教室を開催している。「立体的」かつ「芸術的」なきもの帯づくりを目指している。西陣織の伝統を大切にしつつ新しい発展をプラス。」と出ていた。
貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会事務局にひたすら感謝である。