ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

出版業務がスタートしました:鍼灸師の皆さんも本を一冊は出したほうがいいですよ

2023-08-07 09:55:42 | 診断即治療と虹彩学
これは私の本の一部です


いつまでも「臨床」だけをするわけにはいかないので、ここらで実践塾に来られている先生方の売上を上げる手伝いをしたいと考えながら動き始めた。

それは、今まで来られている先生方の出版のお手伝いをすることです。
先日の実践塾で、「出版希望者」を募集しました。
8名の方が参加する事になり、私の「下原稿」ができている分は出版準備に入っています。

出版の目的としては、皆さんが
① 勉強したまとめ
② 広告でない広告
③ 専門家としての権威付け
④ 長期安定の来客数
⑤ 自己超越

自己超越とは、下図「マズローの法則」で「自己実現欲求」の上にあるもので、「必ず世の中の人に役立つ」という信念が入った欲求のことを言います。
最近は、この「自己超越」まで入っているのが多いです。
今回の出版計画では、その「自己超越」を目指しています。

😀 


あまり大きなことを言うと、笑われるかも知れませんが、「自己超越」を目指すほうがいいと考えるので、敢えて書かせていただきました。

それは、出版がどれだけ有益なものかということを私は知っているからです。
先に言っておきますと、本を売って儲かるということではありません。
本は売っても儲かりません。(^o^)
本で儲けることができるのは有名な作家や出版社から頼まれて本を書く先生方です。

だから、出版は別の考え方をしたほうがいいのです。
私は何人かに出版を勧め、出版された方も何人かいますが、多くの人は勘違いします。
たとえば、

「うふふ、、、、もしかしたら印税で食べていける?」

と考えるようで、出版した後に、

「本は売れませんけど?」と言って来る人もいます。(^_^;)

私は、その現実を知ってもらってから話をするようにしています。
「本が売れても儲からないし、売れるライターではないですからね」と。

出版は、別の考え方で別の使い方があるのです。
私は、その使い方をするようにお話します。
そして、今後はそれを教えていきます。

そして、売り方にも重要なポイントがあります。
一人で出版して、一人で売っても売れないので、それをカバーする方法です。
当院のセミナーに参加された方や七星論を勉強された方は、ご遠慮なく参加されてください。
(七星論や七星鍼法を勉強した方ならフォローしやすいからです)

まずはお電話を!!!
新城針灸治療院:06-6765-76222(木、金、土の10:00~19:00)



臨床実践塾
期 日:8月27日13:00~15:00
テーマ:広告はしなくても患者さんは来ます
会 場:新城針灸治療院
参加費:10.000円
お申込:06-6765-7622(木、金、土以外は留守番電話対応です)


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津門大塚町遺跡の発掘調査について・講師:池田旭氏、西宮文化協会・7月行事(スケッチ&コメント)

2023-08-07 09:29:20 | スケッチ

画・江嵜 健一郎


「津門大塚町遺跡の発掘調査について」7月24日(月)午後1時半から講師に池田旭氏(兵庫県まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部、技術職員)の講演会が西宮文化協会、7月行事として文化講演会があり楽しみに出かけた。会場の様子をいつものようにスケッチした。

吉井良昭当会会長から「梅雨が明け、暑い中、お集まりいただきありがとうございます。アサヒビール西宮工場跡地の津門大塚町遺跡の発掘調査に参加された池田旭先生のお話です。津門は名の通り海を前にした入り口にあり先進地域の大陸から文化が入った場所でした。本日は古墳時代に想いをはせて下さい。」と冒頭挨拶があった。

池田氏は「入所2年目に津門大塚町遺跡の調査に7か月参加した。どういう地域だったのかが第一点。次に埋没古墳だったこと。鉄器製作者集団の集落を発見した意義は大きい。埴輪が多数見つかった。西摂地域全般の調査にも与えるインパクトは大きい。」と話しをはじめた。

「3号墳、5号墳では、多数の円筒埴輪が見つかった。家形・鶏形・馬形・人物形などがあった。円筒埴輪に混ざって馬の歯が出て来た。5号墳では牛の頭部に牛の歯が残っていた。牛と馬の歯が同時に見つかるのは珍しい。牛や馬の家畜のルーツは朝鮮半島かもしれない。歯はエナメル質のため残りやすい。」と池田氏は正面に映像を映した。

「8号墳は現在の国道2号線に接する場所にあたる。復元した墳丘の長さは約24メートルあった。今回の調査で最大級だった。埴輪の種類と数の豊富さは、被葬者の権力と関係する。社会的地位の高い人物が葬られていたと考えられる。」と池田氏は話を続けた。

「10号墳から陶質土器の甕が見つかった。朝鮮半島南西部の栄山江流域から持ち込まれたものと見られる。集落の竪穴建物の一部からは「鉄器」、「フイゴの羽口」、500グラムを超す「鉄滓」が見つかった。鉄器生産の拠点的集落と位置づけられる。」と話した。

「古墳時代の西宮はどんな状態だったのか。古墳は六甲山南麓に多い。東に向けて武庫川にいたるまで広がっていた。津門地域以外には①東灘地域(森北町、郡家、住吉宮町遺跡など、②芦屋川右岸、③猪名川右岸、④河内湖東地域.⑤大和川下流地域へと広がっていた、と話を進めた。

まとめとして、①古墳時代中期に渡来系集団がやってきたことを契機に発展した。②古墳時代後期(5~6世紀)、150~200年の期間に、前方後円墳を頂点とする階層的な古墳群が造営された、③西宮市内地域に「牧」の存在を想定することもできる。」と話した。

「連綿と続く様々な人々に、遺構は失われても、西宮に遺跡が存在したこと。こんな遺跡があったんだと親しみを持っていただければありがたいと思い本日お話しさせていただいた」と話しを終えた。

自宅マンション道一つ隔てたところにある住吉宮町古墳の一角、神戸市立住吉幼稚園跡地で今年のはじめに5基の埋葬古墳が見つかった。JR神戸線の窓から見えていたアサヒビール工場跡地で埋葬古墳の発掘調査が行われていたことを今回の講演ではじめて知った。

素晴らしい機会を用意いただいた西宮文化協会事務局にひたすら感謝である。(了)


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