映画『博士の愛した数式』で、寺尾聰扮する数学者は、離れの一室で物思いに耽るという生活をしており、家政婦(深津絵里)が部屋に入ろうとすると、「数字とたわむれているのにズカズカ入ってくるな」と怒るほどだ。確かABBAが、森の中の別荘で曲作りをしていたと思うが、こういう生活、うらやましい限りだ。
彼のように、考えのおもむくまま頭をめぐらすことができるというのは、この時代、とても贅沢なことなのかもしれない。テレビにネットにケータイに、世の中退屈しのぎはたくさんあれど、一番の退屈しのぎは〈考え事〉あるいは〈物思い〉なのではないか。どこにいても、何も持っていなくても、できるのだから。それをたとえばケータイなんかに中断されるのは、何だかもったいない気がする。
学生時代は、自由に物事を考えたものだ。丸一日誰とも口を利かずに本を読んで過ごしたこともある。見た目には寂しいものかもしれないけれど、それはそれで充実した時間だった。今じゃ、カミさんや子供たちがいるから、集中して何かをするというのはなかなか難しい。もちろん会社ではもっと集中できないから、家庭と職場の往復だと煮詰まってしまう。特に最近、思考を中断させられるのが非常にカンに障る。だから一人の時間というのは、とても貴重だ。
そしてたまーに、一人で旅に出る。2日なら2日間、まったくのフリーだから、精神衛生上、とてもいい。いろいろとヒラメくのも、こういう時。
話は少し変わる。授業中や仕事中に寝ている人を、マジメな先生や同級生、マジメな上司や同僚は起こそうとするけど、多少いびきをかいていようが、放っておいた方がいいと思う。もちろん居眠りはしない方がいいのだが、眠いまま1時間過ごすより、10分でもぐっすり寝てあとの50分シャキッとしている方がよほど効率的である。中途半端に起こされると、あとがたまらない。中には「たるんどる!」と怒り出す先生もいるかもしれないが、その考え方、おそらく間違いである。
特に来月は、ワールドカップで夜更かしも多くなるだろうし。
あと、寝入りばな。何を考えるともなく眠りに入っていけるというのは、当たり前と言えば当たり前なんだけど、とても贅沢なことなのだ。
彼のように、考えのおもむくまま頭をめぐらすことができるというのは、この時代、とても贅沢なことなのかもしれない。テレビにネットにケータイに、世の中退屈しのぎはたくさんあれど、一番の退屈しのぎは〈考え事〉あるいは〈物思い〉なのではないか。どこにいても、何も持っていなくても、できるのだから。それをたとえばケータイなんかに中断されるのは、何だかもったいない気がする。
学生時代は、自由に物事を考えたものだ。丸一日誰とも口を利かずに本を読んで過ごしたこともある。見た目には寂しいものかもしれないけれど、それはそれで充実した時間だった。今じゃ、カミさんや子供たちがいるから、集中して何かをするというのはなかなか難しい。もちろん会社ではもっと集中できないから、家庭と職場の往復だと煮詰まってしまう。特に最近、思考を中断させられるのが非常にカンに障る。だから一人の時間というのは、とても貴重だ。
そしてたまーに、一人で旅に出る。2日なら2日間、まったくのフリーだから、精神衛生上、とてもいい。いろいろとヒラメくのも、こういう時。
話は少し変わる。授業中や仕事中に寝ている人を、マジメな先生や同級生、マジメな上司や同僚は起こそうとするけど、多少いびきをかいていようが、放っておいた方がいいと思う。もちろん居眠りはしない方がいいのだが、眠いまま1時間過ごすより、10分でもぐっすり寝てあとの50分シャキッとしている方がよほど効率的である。中途半端に起こされると、あとがたまらない。中には「たるんどる!」と怒り出す先生もいるかもしれないが、その考え方、おそらく間違いである。
特に来月は、ワールドカップで夜更かしも多くなるだろうし。
あと、寝入りばな。何を考えるともなく眠りに入っていけるというのは、当たり前と言えば当たり前なんだけど、とても贅沢なことなのだ。