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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

人はなぜ生きるのか(上)

2006-11-19 09:14:38 | こころ
 
 古い話で恐縮だが、2月のNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に東大助教授の古澤明という、量子テレポーテーションの世界的な研究者が出ていた。
 その彼がアメリカ留学時代、大リーグの試合を見に行って、野茂英雄選手のホームラン(打たれた方ではなく、打った方)を目撃したんだそうだ。その頃、彼は研究がうまくいかず行き詰まっていたそうだが、そのホームランに勇気づけられ、頑張って研究が進むようになったとのこと。
 そして今、その分野で世界でも最先端を走るようになっている。

 これはまあ極端な例かもしれない。
 これで古澤氏がさらに大きな成果を上げ、量子コンピュータの実用化など、世の中に多大な恩恵をもたらしたとしたら、野茂投手は、それに大きな後押しをしたということになる。(しかし当の野茂投手はそんなこととはつゆ知らず(知っていても例の飄々とした感じで受け流すだろうが)、野球に専念していることだろう。)
 スポーツ選手は、勝ったの負けたのと、世の中に生産的なことをもたらすわけではなく、体を張って娯楽を提供しているだけであるが、上の例のように、たとえば重い病気の子を勇気づけたり、生き方を学ばせてもらったり、人の動かし方など組織の運営方法の参考になったりと、実用的な面でも、見る人の役に立っていることは確かだ。

 で、僕ら普通のサラリーマンの場合はどうか。仕事をしていれば、何らかの製品・サービスを世の中に提供していることに携わっているはず。
 去年8月の「サッカー日本代表戦を見ながら」でも話をしたように、代表選手を支えているのは、監督やコーチなどのチーム関係者や協会、それにサポーターだけではない。食事を提供するコックも、その食材を提供する業者、それを生産する農家・漁師も、遠巻きながら選手をサポートしている。
 製薬メーカーに勤めていれば、自分の会社の抗生物質や湿布薬が、スポーツ選手の回復を助けることだって、いくらでもあるだろう。自分とこのテレビ・パソコン・カメラ・自動車…意識するしないに関わらず、ありとあらゆる物が、たとえば日本代表選手を支えている。そして、その会社員の恋人・奥さん・子供たちは、その下で支えてくれている。さらにその子供たちも、誰かに支えられている。

 これは、相手がスポーツ選手に限らない。宇宙飛行士でも、政治家でも、有名歌手でも、大学教授でも、どこかで僕らは支えている。そして支えられた人たちが、宇宙で見事な実験をし、立派な政治をし、素敵な歌を歌い、見事な発見をする…。発見をした人はもちろん素晴らしいが、それはもちろん、一人ではできないものだ。
 ついでながらこれは、自然界の〈食物連鎖〉にも似ている。植物は草食動物のエサになり、草食動物は肉食動物のエサになり、そして動物の排泄物やら死骸は、やがて植物のエサになって行く。

 どんな人にも存在価値はある。どこかで支えて支えられて、人間は生きていく…。
(つづく)
コメント (2)
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