3月2日から5日まで、仕事で北京へ。
おととし上海へ行った時、遠くがかすむほど空気が汚れていたので、やはり同じだろうと思っていたのだが、北京の空は非常にきれいだった。
聞いたところ、オリンピックを控え、北京市内・近隣の化学工場は、操業停止か遠くへ移転させられたんだそうだ。クルマの排ガス規制も厳しいようで、見たところ日本と同じくらい無色だった。
北京と言えば昔は自転車がわんさと行き交うイメージだったが、国民が豊かになって、クルマに切り替えているとのこと。もともと土地が広いせいか、アメリカほどのデカい車はなかったが、普通車がほとんどで、軽自動車はほとんど見かけなかった。それも、長いこと洗っていないようなホコリだらけのものが大半。中国の人はあまり気にしないのだろう(僕も車はほとんど洗わないのだが)。
北京市内でも多いところで片道6車線あり、広々としたものだった。ただそれでもクルマの量が多いため、朝夕は日本並みのラッシュが続いていた。
泊まったホテルはオリンピックスタジアム(鳥の巣)のすぐそばで、部屋の窓から眺めることもできた。ただやはり近くで見なきゃ、と時間を見つけてはそばまで行ってみたが、周りの道路含めまだ工事中で、スコップを担いだおっちゃんや兄ちゃんがぞろぞろ歩いるのが目に付いた。中には、どう見ても中学生くらいの子もいた。
そして、よほど目がいいのか、ほとんど真っ暗な中でも作業しているのにはびっくりした。
空いた時間を利用して、故宮(旧紫禁城)や雍平宮というラマ教(チベット仏教)のお寺も案内してもらったけど、オリンピックに備えて、どこもお色直し中。6月中に終わらせるということで、突貫工事が行なわれていた。44年前の東京オリンピック直前も、こんなだったんだろうな、と思った。
日本、それから韓国に先を越されているけれども、この北京でのオリンピックを機に、世界に打って出よう、という意気込みがひしひしと伝わってきた。
故宮近くの「北京の銀座」と呼ばれる繁華街も歩いたが、立ち並ぶ百貨店の様子とか、日本とそう変わらない気がした。ただ、道歩く人の服装はアカ抜けないというのか、まだまだ地味な感じだった。オリンピックで全世界からの客を迎えたあとは、そのファッションもおそらく変わって行くことだろうと思う。
それと、これもマナー教育の効果なのだろうか、上海で目撃したような、大声で怒鳴り合う光景は、ついぞ目にしなかった。それとも、東京と大阪みたいな、文化の違いなのだろうか。現時点で上海に行ってみないとそれはわからないのだが。
あと、「麦当労(マクドナルド)」や「肯徳基(ケンタッキー)」なんていう看板もあちこちで見かけた。
都市計画で街中がきれいになって行く中、ビル(大厦)とビルの間に、昔ながらのレンガ造りの家が残っているのも目に入った。地上げ屋はいないだろうけど、それらもいずれ取り壊され、きれいな街並みになっていくことだろう。
華やかな国家繁栄の陰で、そういう悲しい一面もあるということを思いつつ、8月からのオリンピックを見ることになるのだろう。
ところで仕事の方は、先方の会社の社長や部長の方が日本語達者だったため、非常にやりやすかった。向こうは大変だろうが、母国語でやりとりできるというのは、何とも気楽だった。移動の車の中では、気を利かせて小田和正や中島美嘉のCDをかけてくれるし。
接待の方は、毎晩中国料理。相手が欧米人だろうが日本人だろうが、どうも中国人は中国料理をご馳走するのが礼儀だと考えているらしく、たまには日本料理店へ、というのはなかった。その代わりというのか、初日は上海料理、2日目は北京料理、3日目は南方系の中華、と日替わりで接待してくれた。(それぞれの差というのはよく分からなかったが、3日目のが一番口に合う感じがした)
いずれも超一流料理店の個室で、中国の琴の生演奏があったり、別室に出演していた京劇(面の色が瞬間的に変わるヤツ)の有名そうな俳優が飛び入りでやって来たりと、料理と併せ、中国文化をそれなりに堪能したのでした。
ただ、相変わらず朝は軽く済ませたものの、飲み食いのしすぎで少し太ってしまったが。
そうそう、今回はおなかも壊さず、穏やかでいい出張となりました。
〔写真は、補修中の故宮・太和殿〕