息子が言うのも何だが、82になるウチの親父はなかなかできた人間で、僕ら子供に対しても「ありがとう」という言葉をちゃんと言ってくれる。
お年寄りは概して、「ありがたい、ありがたい」と口癖のように言う人が多いように思う。長生きできたってことは、それだけでもありがたいことなのかもしれない。(あるいは、「ありがたい」と言っているから長生きできるのかも)
ものの本なんか読んでいると、不幸になる人っていうのは、グチやら人の悪口やら、不平不満をよく口にしているものらしい。口にするほどだから、心の中にはそれらが渦巻いているのだろう。
でも幸せになろうと思ったら、それらとは逆のことを思い、口にするのがいいらしい。ありがたいねえ、というもその一つ。そういうことばかりを言っている人間が不幸せになることは、あり得ないだろう、と。
この世の不幸の大半は人間関係から起きるもののようだが、自分が悪いにせよ相手が悪いにせよ、心の中は文句や言い訳でいっぱいに違いない。そんな時、バカのひとつ覚えみたいに「ありがたい、ありがたい」と言うことで、マイナスのエネルギーを自分の中から追い出すことができる。
いわばお題目みたいなものだが、「南無阿弥陀仏」にしろ「南無妙法蓮華経」にしろ、ありがたいとされる言葉を唱えることによってプラスのエネルギーで満たすという意味では、同じことなのかもしれない。
おせちが食べられてありがたい、お酒が飲めてありがたい、天気が良くてありがたい、梅が咲いてありがたい、ネットが使えてありがたい、…。
小林正観という人がそういうことを言っていて、「ありがとう」を確か1万回唱えると、周りに対する感謝の気持ちが自然と出てきて涙が止まらなくなる、らしい。
僕もツラい時、何回となく試したことはあるが、1万回とまでは行かなくても、落ち着いたいい感じになるものだ。
職を失ったとか、大好きな人にフラれたとか、世の中大変なことは多々あれど、そういう気持ちで過ごせたら、それはきっと幸せな人生になるだろうと思う。少なくとも、前向きにはなれるだろう。
勝手に〈ありがたい教〉と名付けているところ。お金も手間もかかりませんので、よかったらどうぞ。
そうそう1万と言えば、スポーツにしろ芸術にしろ、何かをモノにするには、1万時間の練習(稽古)が必要なんだそうだ。1日3時間として、約10年。
…このブログも5年が経ちました。時々サボりたくもなりますが、読んでくれる人がいることをありがたく感じながら、今年もガンバって続けて行きたいと思います。