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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

親が死ぬということ

2011-07-03 11:16:08 | こころ
 
 毎日暑いですな。前回に引き続き、死んだ父にまつわる話。

 おそらく世のほとんどの親がそうだろうと思うが、うちの父も、借金はないし、特に大きな遺産というのもなし。少しばかりの財産分与があるようだが、よくわからない。
 昨年12月に新聞で読んだ誰か有名な人の言葉に「或る人が残した財産というものは、お金とか不動産などではなく、その人が生きたそのこと自体が財産なのである」という意味のことがあった。そのとおりだろうなと思っている。

 ところで僕らの世代ってのは、昭和から平成への改元やら21世紀への移行(ミレニアム)も体験したし、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、今回の東日本大震災も見聞きした。父の場合、太平洋戦争も。よきにつけ悪いにつけ、退屈することはなかったろう。
 いずれにせよ、(いつも会っている訳ではなかったが)たくさんの子供・孫・ひ孫たちに囲まれ、幸せな一生であったろうと思う。昔は〈ガンコ親父〉だったが、ここ最近はすっかり〈好々爺〉になっていた。

 僕ら子供としては、父より早く死ぬことがなかったことで、とてもホッとしている。それだけで〈親孝行〉だと思うから。お通夜など、大いに盛り上がったのもそのせい。
 親が死ぬまでは死ねないな、という気持ちはどこかにあった。母は健在ながら、その〈足かせ〉が半分とれたような気分。ただその分、老け込んでしまわないかと自分でも心配なところ。

〔写真は、春先に撮ったユキヤナギの花〕

P.S.暑さのためパソコン不調…
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