さて、コピーながらお気に入りの服のすそを気にしつつ出社した浩美であったが、オフィスの入り口でいきなり陽子と孝志が話をしているのを見てガッカリしてしまった。孝志はこちらを見てギョッとしたような表情をしたが、陽子と話していたのを見られたからなのか、自分の買ってやった服を、もうしばらく付き合っていない浩美が着ていたからなのか、はよくわからなかった。あるいは、理由はその両方だったのかもしれない。
その日は最悪の日となった。仕事上のパソコン画面と慣れない視界とが重なったせいもあるし、朝のことが頭から離れず、仕事にも集中できなかったのだ。おかげでミスは重ねるわ、フラッシュメモリーはどこかへ置き忘れるわ、おまけに発注元からはさんざん文句言われるし。
それからしばらくは、やり直しまたやり直しで遅くなる日が続く。
疲れ切ったそんなある日、駅のホームでぼんやりしながらも孝志と陽子のことを考えていた。二人は付き合っているのだろうか、孝志は甘い言葉をささやき、服など買ってあげているのだろうか。悔しいが、どう見ても自分と孝志より、陽子と孝志の方がお似合いだった。
ふと目を上げると、向こうのホームからこちらを見ている中年男と目が合った。少し禿げ上がって小太りの、イヤらしさを感じさせるオヤジだった。うわヤダッ、と思った。そのオヤジの顔には白い矢印が。思わず右クリックをし、〈削除〉を押そうと。
…と、その時、後ろから「あのー失礼ですが」と声を掛けられ、振り向くと何ともいい感じのイケメンが。
「たしか先日、歩道橋の上に居ましたよね」
「え? はい」
「瞬間移動させられた格好になって、一体何ごとか、と辺りを見回したら歩道橋の上に女性が一人、こちらをじっと見ているのが見えました。だからきっとこの人が(何かよく分からないけれども)やったに違いないと思ったわけです」
こういう展開を予想していなかったわけでもないが、呆気にとられているとイケメンは続けた。
「是非ともお礼を言わなくてはと思っていました。あなた、ですよね」
私は頷くしかなかった。
「ああ良かった。あの日は新しい企画を会社トップにプレゼンする日で、前の晩遅くまで準備していたもんだから寝坊し、大事な本番に危うく遅れるとこだったんです」
イケメンはセキを切ったようにしゃべる。
「おかげで採用となったその企画を全面的に任されることになり、ますます忙しくなったんだけどね。ハハハッ」
それからはあれよあれよという間に事が運び、孝志や陽子のことなんか、ましてやあの禿げたオヤジのことなんかどうでも良くなるくらい、幸せな日々が続く。性格にしろ他人に対する気遣いにしろ、孝志とは比べ物にならないくらい、断然いい。
近くの商社に勤める4つ上の彼。カーソルが重なったその寝顔を見つめていると、ダブルクリックをして〈中身〉を見てみたい衝動にも駆られる。…いやいやそれだけは、やめておこうっと。
―――・―――・―――
ところで、このイケメン君、どうしてすぐに歩道橋上の浩美に気付くことができたのか。また、どうやって浩美を見つけ出すことができたのか。
ひょっとしたら、彼の目にも「カーソル〈矢印〉」が映っているの、かも。
Copyright(c) shinob_2005
その日は最悪の日となった。仕事上のパソコン画面と慣れない視界とが重なったせいもあるし、朝のことが頭から離れず、仕事にも集中できなかったのだ。おかげでミスは重ねるわ、フラッシュメモリーはどこかへ置き忘れるわ、おまけに発注元からはさんざん文句言われるし。
それからしばらくは、やり直しまたやり直しで遅くなる日が続く。
疲れ切ったそんなある日、駅のホームでぼんやりしながらも孝志と陽子のことを考えていた。二人は付き合っているのだろうか、孝志は甘い言葉をささやき、服など買ってあげているのだろうか。悔しいが、どう見ても自分と孝志より、陽子と孝志の方がお似合いだった。
ふと目を上げると、向こうのホームからこちらを見ている中年男と目が合った。少し禿げ上がって小太りの、イヤらしさを感じさせるオヤジだった。うわヤダッ、と思った。そのオヤジの顔には白い矢印が。思わず右クリックをし、〈削除〉を押そうと。
…と、その時、後ろから「あのー失礼ですが」と声を掛けられ、振り向くと何ともいい感じのイケメンが。
「たしか先日、歩道橋の上に居ましたよね」
「え? はい」
「瞬間移動させられた格好になって、一体何ごとか、と辺りを見回したら歩道橋の上に女性が一人、こちらをじっと見ているのが見えました。だからきっとこの人が(何かよく分からないけれども)やったに違いないと思ったわけです」
こういう展開を予想していなかったわけでもないが、呆気にとられているとイケメンは続けた。
「是非ともお礼を言わなくてはと思っていました。あなた、ですよね」
私は頷くしかなかった。
「ああ良かった。あの日は新しい企画を会社トップにプレゼンする日で、前の晩遅くまで準備していたもんだから寝坊し、大事な本番に危うく遅れるとこだったんです」
イケメンはセキを切ったようにしゃべる。
「おかげで採用となったその企画を全面的に任されることになり、ますます忙しくなったんだけどね。ハハハッ」
それからはあれよあれよという間に事が運び、孝志や陽子のことなんか、ましてやあの禿げたオヤジのことなんかどうでも良くなるくらい、幸せな日々が続く。性格にしろ他人に対する気遣いにしろ、孝志とは比べ物にならないくらい、断然いい。
近くの商社に勤める4つ上の彼。カーソルが重なったその寝顔を見つめていると、ダブルクリックをして〈中身〉を見てみたい衝動にも駆られる。…いやいやそれだけは、やめておこうっと。
―――・―――・―――
ところで、このイケメン君、どうしてすぐに歩道橋上の浩美に気付くことができたのか。また、どうやって浩美を見つけ出すことができたのか。
ひょっとしたら、彼の目にも「カーソル〈矢印〉」が映っているの、かも。
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