日曜夜の『THE 世界遺産』(ソニー提供)なんか見ていると、欧米の教会は屋根がものすごくとんがっている。天に向かってそんなに突き刺さなくてもいいのに、といつも思うのだが、その理由が何となくわかった、という話。
山岳信仰という言葉もあるように、日本では信仰の対象として、富士山をはじめとする山々が挙げられる。お寺の名前に「○○山」と付くのもそのせいかもしれない。その山々の代わりとして作られる寺社の屋根は、日本の山々と同様、なだらかとなる。
これに対しヨーロッパの山々は、マッターホルンに代表されるように、かなり嶮しい。ヨーロッパ人も山岳信仰を持つとすれば、その代わりとして建てられる教会も、鋭角的になるのだと思う。
(まさか自分たちの高い鼻に合わせたわけではなかろう。ついでながら、西洋人の鼻の高さは、吸う空気の温度と関係があるそうだ)
もう一つはやはり、遠くからでも目立つように、だろう。礼拝に行くのに、教会がどこにあるのかわからなければしょうがない。日本の神社やお寺だと、森(杜)に囲まれているから、その緑を目指せばいいのだが、教会の場合、そういったものはないから。
これはまた、自己主張する欧米と、奥ゆかしい日本との違いとなっているのかもしれない。
話を戻すと。ペルーやメキシコなど、山ばかりの地方になると、さらに上の方、つまり、太陽を信仰することになるのだろう。「日の本」とも言われるように、日本でもその傾向はある。
また山がなく太陽もありふれた南の島々では、海洋信仰ということになるのかも。
そしてロシア。小説『罪と罰』でラスコーリニコフが大地に接吻するように、高い山もなく太陽もあまり出てこないロシアでは、残るものとしては大地になるのだろう。
まとめると、山岳信仰・太陽信仰・海洋信仰・大地信仰、となる。
ところで、日曜夜6時半からはキヤノン提供の『奇跡の地球物語』という、これまたいい番組が始まった。おかげで日曜の夜はテレビ漬けになってしまうのだが、ソニーとキヤノンと、CMのツクリに大きな違いが見られる。やはりソニーの方がアカ抜けている分、キヤノンの方は堅実と言える。社風というのは、こんなところからも透けて見えるものだ。
〔写真は、チェコのプラハ(『THE 世界遺産』のHPより)〕