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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

続・理性と本能と

2018-04-15 08:33:57 | 科学/考察
 皆さんはどうか分かりませんが、酔っ払うとどうも〈エッチ〉になってしまう。飲み会から帰ってきた時など(毎回ではないものの)ついついその方面のサイトを覗きたくなる。(時に自己嫌悪に…)
 そう言えば、かの福澤諭吉もお酒にだらしなかったというから、あるいは同じようなことで悩んでいたのかもしれない。

 ご存じのとおりこれは、理性を司る大脳皮質がマヒして本能が露わになるためで、やむを得ないことではある。
 理性が神様/天から与えられたものであるように、本能も同様、自然に与えられたもの。そこには命をつなぐという深遠/重要な意味があるのだし、避けようもないこと。(もちろん人に迷惑掛けたりセクハラなんぞは、ご法度ご法度)
 物事に「陰と陽」「裏と表」があるように、そしてどちらか片方だけでは成り立たないように、理性と本能とは切っても切れない関係であり、またどちらも必要なもの。

 男根あるいは女陰を模した神輿を担いで行なわれる各地の祭りや、アニミズムの象徴である土偶なんか見ていると、おおらかな〈性の解放〉が見られる。こういうの、いいなあ。
 古(いにしえ)の時代はそんなものだったのかもしれない。今の世の中、ギスギス/チマチマし過ぎ。

 ところで『50代から強く生きる法』という本を読んでいたら〈理趣経〉という聞きなれないお経の話が出ていた。
 曰く「男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である」「男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である」等々。お経らしからぬ何とも鷹揚な考え方。何だか自信が持てそう。
 あるいは、とある年配の女性が言ったというこんな言葉もある。「ええばっかりの人間はおらん。悪いばっかりの人間もおらん」 人間なら誰しも、長所もあれば短所もあるってこと。程度の問題なのであるが、こういうの聞くと、安心して生きていくことができそう。
 …とまあ半分は自分を慰めるために書き連ねてみたのでした。

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