精神医学やら脳科学の世界では有名な話のようだが、こういうのがあるそうだ。
同じような犯罪を繰り返す男の動作がぎこちなかったことから脳を調べたら、大きな腫瘍が見つかった。それを取り除いたところ、犯罪性癖が消えてなくなったため、男は無罪になったとのこと。彼が起こしたように見えた犯罪は、彼の脳腫瘍が起こしていたということだ。
もし仮に、動作がぎこちなくなるほど脳腫瘍が大きくなく、見逃されていたとすれば、男は、彼自身の罪として厳罰に処せられたことだろう。
腫瘍という、外科的な異常がない場合はどうだろう。たとえば脳内物質の代謝異常によって、反社会的あるいは非倫理的な行動を起こすことだってあるだろう。その場合、彼はやはり無罪となり得るのか。
これはまあ極端な例であるが、個人の性癖・言動において、どこまでが本人の責任なのか、というのはなかなか線引きが難しいのではないかと思う。
死刑になることは間違いないようだが、かのオウム真理教の教祖だって、脳に異常でもあるのかもしれない。
よく、「あいつまたあんなこと言ってる」とか「どうしていつもそういう風に物事を考えるかねえ」とかいう場面は、誰しも経験あると思う。でもでも、頭の所有者であるその人がそう思うんだから、それはその人の勝手。
もちろん反社会的な考えは改めてもらいたいものだが、脳外科手術でもして性格を変えるのも変な話だし、人の考え方を変えるっていうのは、何ていうか、不遜な行為のような気がする。
生物の多様性、というと大袈裟になってしまうが、突拍子もない考えも、世の中ないといけないように思う。それはおそらく、神様も受け入れてくれる〈許容範囲〉であるに違いない。
今回の何とかいう国土交通大臣の“失言”騒ぎにしても、本人がそう思うんだから仕方ない。まあ大臣になったことで気が大きくなってしまったのか、言わなくてもいいことまで言ってしまったようだが。
ただ、発言は全体の流れの中で判断しないといけないようにも思う。その部分だけクローズアップするとおかしな意見でも、全体を通せば筋の通った話、というのもあるはずだから。逆に言うと、どんな話でも、ある一部を取り出せば奇妙な意見にもなり得るのだし。
来年始まる裁判員制度でも、こういったことを考慮に入れないといけないだろう。
本当に増えているのかよくわからないのだが、秋葉原のような事件を起こす人間というのが増えているとすれば、おそらく、テレビやモバイルなど、虚の世界(画面)にずっと接しているのが良くないように思っている。少なくとも、平面ばかり眺めていると、脳が感じるべき立体感、つまり現実感を希薄にするのではないかと。
この辺り、どうなんだろう。もし他の惑星の進化した生物がいたとしたら、聞いてみたいものだ。テレ(tele)ビジョン(vision)、つまり遠くに映像を飛ばす技術というのは文明が進めばおそらく必ず出てくるものだし、それは普通、平面上に表示されるものだから。
ちょっと話が飛びすぎましたが、虫の音聞きながらこんなこと考えていました。まさか僕の脳には腫瘍はないと思いますが。
〔写真は、富士山頂からの夕焼け〕