あなたの周りにもいるだろうか、英語が堪能な人あるいは帰国子女。その子たちが書く日本語を見ると、だいたいが小さいかまたは弱々しい字である。日本語に自信がないのかもしれないが、すらすらと書かれる/話されるアルファベットに比べ、日本語はどちらかというと一つ一つ“気合い”を入れて書かれる/話されるように思う。
確かに、ラジオから聞こえる英語なんか、流暢ではあるが下っ腹に力がこもっていない感じはする。首から上だけでしゃべっている、というのか。幕末、欧米を訪問した武士たちもきっと同じように感じたことだろう。例えば“コマンタレヴ?”は、気合いを入れて発音するようなものでもない。
いわゆる横文字は、目の前を左から右に(中には逆も)動くだけで、体の正中線を通ることはない。それに対し、書道に代表される縦書きは目の前から下がって臍下丹田を通ることになる。気功で言う「小周天」に沿っているし、呼吸と一致しているとも言える。
ひょっとしたらモンゴルやネパールにもあるのかもしれないが、日本には昔からアニミズム(すべての物に魂が宿るという考え方)があり、身の周りの物を表わす言葉にも敬意を払ってきた。だから上っ面ではなく、それこそ魂を込めて名付けたのだろう。おそらく世界中見回しても朴訥とした言葉の部類に入るのだろうだけれど、その分、心がこもっているように思う。日本が「言霊(ことだま)の国」と言われるのも、そんなところから来ているのかも。
そう言えば仕事でドイツへ行った際、現地の女性から「日本語はとても心地いい」と言われたことがある(もちろんドイツ語で)。意味は分からないけれど、聞いていて気持ちいいんだそうだ。心に響く言葉なのかもしれない。大変失礼ながら、他のアジアの言葉はどうも耳に障るとのこと。
だからと言って、日本だけが立派だというわけでもない。ただ言霊の幸ふ不思議な国だというのは、間違いのないところ。
〔写真は、奇跡の書道家・山田里見「文字の力展」より〕