断わっておきますが、こうすれば儲かるとか、こうしたら儲かったとかいう類の話ではありませんので。
民主党・小沢幹事長の献金疑惑も、だいぶ下火になったようだ。
4億円はどっから来たかと検察も調査し、国会でも問題にされているけれど、そんなのどうでもいいと思っている。不正な金なのかもしれないが、それが解決したところで、現在最大の懸念である景気は良くなるのか? 年金は大丈夫なのか? 地球温暖化は食い止められるのか?
ハイチやチリで起きたような大地震でもあれば、あるいは強力な新型インフルエンザが発生すれば、多くの人名含め、何百億いやそれ以上の損失が出るわけだから、それらの対策に力を注ぐべきだと思うんだけどね。「政治とおカネ」なんて、小せえ小せえ。
田中角栄氏、金丸信氏からつらなる別の意味での〈金脈〉は、おそらくなくなることはないだろうし、必要悪だろうとも思う。まあ検察も、市民団体からの告発を受けて動いたのだろうが、2回も事情聴取やったからいいでしょ、なんてところあるのかも。
政治家とお金の関係と言うより、これは人間の性(サガ)みたいなもんだから、触れない方がいいような気もする。
税金も使われているんだ、けしからん、という言い方もあるけれど、10億でも国民1人当たり10円ぽっち。それくらい、よきに計らえって感じ。
でもそうすると、国民みんなから数円ずつでも集めれば、数億円になるってこと。(実際は、それを集めるための手間の方がはるかに掛かってしまうのだが)
宝くじやtotoで2億とか6億とか言うけれど、当たったら当たったで、寄付やら配分やらヤッカミやらで、大変であるに違いない。何より心の平安が乱されるのなら、大金なんか、ない方がいい。
話変わって。
「無駄使いした」とか「ボラれた」という思いは誰しもしたことがあると思う。でも商品なりサービスは提供されたわけだから、それはそれでとりあえずは満足しないと。
さらにはこういう考え方もある。お金は、支払った分の何万倍にもなって戻ってくるものだ、という。「僕のとこ来てくれてありがとね。行く先々でも、みんなを幸せにしてあげてね」と、そういう気持ちで“送り出して”あげれば、お金もそれに応えてくれるような気もする。少なくとも、精神衛生上はいいに違いない。
五木寛之さんの『生きるヒント』という本には、こんな話が紹介されている。
インドの物乞いにお金を恵んでも、お礼も言わずにプイッと立ち去るのだという。あれだけ「お恵みを」という態度をとっておきながら、それは呆気ないほどだという。でもそれは彼らにとっては当然のようで、「お金を恵んだことで陰徳を積んだはずだから、お礼まで受け取らなくていいはずだ」ということらしい。なるほどねえ。
なお、ここでも「損した」と思うのではなく、「何万倍にもなって戻って来るんだ」と考えればいいのだろう、と。
〔写真は「開運通販の福福」より勝手ながら拝借〕