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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

この世とあの世と

2011-11-06 18:22:29 | 科学/考察
 
 『人は死なない』は、東大附属病院で救急医として働く矢作直樹という人が書いた本。救急医療の現場や登山時の自身の体験などから、タイトルのような結論に至ったというもの。
 友人の霊能力を借りて、亡くなった母親と話をしたことも書かれている。あの世というのが、非常に近い所にあるような感じだ。なお、この友人というのはごくまっとうな社会人で、その霊力を公言することもなく、それを使って金品を要求するわけでもないとのこと(そんな人、多いんじゃないか)。

 あの世があるとするなら、この宇宙とは別の所であるに違いない。しかし137億光年先の宇宙の果ての向こうだとすれば、あまりにも遠い。だからあの世というのは、僕らのすぐそばにあると考えた方が理にかなっており、前回話をしたように、空間というか次元というか、宇宙は重なっていると考えられる。(でないと、別の惑星に生まれ変わったりしてしまう)
 違うところはもちろんあれど、あの世でもこの世と似たような生活をしているのだ、という話はよく聞くところ。前世、現世、来世、そのまた来世、というのが延々続いているのではないか。

 次元は違えど、死んだ人はすぐそばにいるに違いない。目には見えないけれども、近くに〈居る〉と考えていいだろう(植物どころの比ではない)。「お天道様が見ているよ」あるいは「お釈迦様が見ているよ」というのは、案外本当なのかもしれない。
 だから、宗教は何でもいい。念ずる心や祈る姿というのは、近くで〈誰か〉が見ているはずだから。

 ところで、宇宙が膨張していることは今や常識となっていて今年のノーベル物理学賞もその関係だったけど、あくまでも星と星、あるいは銀河と銀河との距離が広がっているだけであって、僕らの地球含め、星々自体は膨張していないってことでいいんだよね。(これ基本的な所なんだけど、説明あまり聞いたことがない)
 それから、クォークの種類が3対6種というのと、この世が3次元空間であるのと、何か関係があるような気もしている。それぞれの対が、x,y,z軸を形成しているような。

 こういうことばかり言ってると、特に子供の場合、親が非常に心配するものだ。「この子は取りとめのないことばかり言って、まともな大人にならないんじゃないか」と。僕も小さい頃からそのケがあって親に心配掛けたクチなのだが、大丈夫。今じゃ家庭持ちながら普通のサラリーマン(管理職)やっているし、取りとめのないこと考えながらも“まっとう”に生きてはいる。
 前回からの記事読んで、ひょっとしたらいかがわしく思っている人もいるかもしれないけど、ごく普通に生活している者です(あるいはこんな人も、意外と多いんじゃないか)。

 ギリシャの財政破綻だのタイの洪水被害だの、地球規模での困難は多々あれど、宇宙の根源に関わるおーっきな話、あるいは不可思議なことには、いつまでも興味を持っていたい。これはまた「僕はなぜ/どう生きるのか」ということにもつながるのだが、その話はまた改めて。
 


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