テレビや新聞でも特集が組まれ、あの日が近づいたことに否応なく気付かされる。
はや3年。風化していくのはこの世の常で仕方ないけれども、毎年こうして何かしら書くことで忘れないようにしたい。
とは言え特番見ればメロメロになってしまうので、あまり見ないようにはしている。一方、新聞で見る被災者の皆さんの顔が何となく明るくなっているのは、何よりの救いである。
何十年後、何百年後、あるいは何千年後かには〈伝説〉のようになっているのかも。ひょっとしたら旧約聖書の「ノアの大洪水」のような感じで捉えられるのかも知れないし、津波の映像媒体がうまく保存されていたとしても、うまく出来たCGだと思われるのかも知れない。
しかし僕らにとっては確かな現実であるし、被災者たちにとっては一生忘れられない事件なのである。さらには、僕ら現在に生きる者にとって、戦争体験にも似た〈共通体験〉なのだとも言える。
ところで(といつものように脱線するのだが)8年前の今ごろ、日本地図と世界地図とが似ているということをここに記したことがある。
要約すると。中国地方をヨーロッパ、伊豆半島をインド、津軽海峡をベーリング海峡、と見なした場合、僕の住む静岡はパキスタン辺りに移動することになるのだが、移動することのない〈特異点〉が宮城県沖あたりになるということ。そこって、あの地震の震源地だよなあ、と今さらながら驚いているところ。(単なる偶然にしては…)
さて先日、山田太一原作のドラマ『時は立ちどまらない』を見た。同じ被災者同士でももろもろ事情があってなかなか一筋縄では行かないことが、うまく静かに描かれていて、またまた泣けてしまったのでした。
〔写真はご存じ、南三陸町の防災対策庁舎。見るのもツラい人がいるのは重々承知ながら、周りを建屋で覆うなどして何とか保存できないものか〕