もう何十年も前のこと、新聞の連載小説で『八犬伝』を読んだことがある。元々はご存じ滝沢馬琴であるが、その連載の作者は山田風太郎。
虚の世界(物語『南総里見八犬伝』)と実の世界(馬琴の実生活)とが交互に出てくるもので、とても興味深いものであった。
それ以降、僕にとって「実の世界」とは何か「虚の世界」とは何か、ということがずっと気になっている。
仕事の方が「実」なのか。いや、自分としては会社での顔は〈仮の姿〉だと思っており、家庭での顔の方が「実」のような感じを持っている。ただそれでも、親の顔だったり夫の顔だったりして、本当の自分でもないような気がしている。
だから僕にとっての「実の世界」とは、一人で静かに過ごしている時間、たとえばひとり旅をしている時だけなのかもしれない。この時間というのは「本来の自分」に戻れるという意味で、実に心地いいもの。(そう言えば最近行っていないなあ)
では「虚の世界」はと言うと、会社だったり家庭だったり町内会だったりするわけ。あ、ここにこうして書いている時間というのは「虚」のようでもあるが、おおよそ素の自分を出していることからすると「実」と言ってもいいのかもしれない。
ツイッターやらラインとやらが流行っているようだが、真面目にやっている人にとって、その世界は「実」と言ってもいいのかも。
たとえば亡くなった人の生前何をやったかが紹介される際、仕事面が強調されがちではあるが、そうではない面の方に、本人としては力入れていたのかもしれない、という場合もあろうかと思う。(かく言う僕自身も、職業だけで判断されたくはない)
そうそう、虚と実とを行き来する物語としては、これまた新聞小説である筒井康隆『朝のガスパール』がある。これもなかなか面白かった。
虚と実、陰と陽、夜と昼、影と光、黒と白、裏と表、…
虚の世界(物語『南総里見八犬伝』)と実の世界(馬琴の実生活)とが交互に出てくるもので、とても興味深いものであった。
それ以降、僕にとって「実の世界」とは何か「虚の世界」とは何か、ということがずっと気になっている。
仕事の方が「実」なのか。いや、自分としては会社での顔は〈仮の姿〉だと思っており、家庭での顔の方が「実」のような感じを持っている。ただそれでも、親の顔だったり夫の顔だったりして、本当の自分でもないような気がしている。
だから僕にとっての「実の世界」とは、一人で静かに過ごしている時間、たとえばひとり旅をしている時だけなのかもしれない。この時間というのは「本来の自分」に戻れるという意味で、実に心地いいもの。(そう言えば最近行っていないなあ)
では「虚の世界」はと言うと、会社だったり家庭だったり町内会だったりするわけ。あ、ここにこうして書いている時間というのは「虚」のようでもあるが、おおよそ素の自分を出していることからすると「実」と言ってもいいのかもしれない。
ツイッターやらラインとやらが流行っているようだが、真面目にやっている人にとって、その世界は「実」と言ってもいいのかも。
たとえば亡くなった人の生前何をやったかが紹介される際、仕事面が強調されがちではあるが、そうではない面の方に、本人としては力入れていたのかもしれない、という場合もあろうかと思う。(かく言う僕自身も、職業だけで判断されたくはない)
そうそう、虚と実とを行き来する物語としては、これまた新聞小説である筒井康隆『朝のガスパール』がある。これもなかなか面白かった。
虚と実、陰と陽、夜と昼、影と光、黒と白、裏と表、…