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「行動の哲学」へ (再トラックバックです。)
まったくワタヌキ氏のいう通りだ思います。
問題に立ち向かう心、積極的に状況に関る心、権力や金力の横暴に屈しない心、そして、なにより自分に負けない心を深く支えることの出来る頭ー「能動的思想」を生み出す哲学でなければ、哲学には存在理由がありません。
「認識論」はあくまで認識論なのであり、それ以上でも以下でもないのです。
戦時中は天皇主義者になった西田幾多郎など多数の学者は、哲学者なのでしょうか?
ナチ党に進んで入党しヒトラーに過激な進言をしたハイデガーは、哲学者なのでしょうか? 政治権力者や社会的ステータスを持つ人間に擦り寄り、保守主義を支える言説をはき、彼らの横暴を見過ごす人間を哲学者と呼べるのでしょうか?
それが哲学者ならば、哲学が泣きます。そんな程度のものにソクラテスは命をかけたのではありません。
「民知」としての本来の哲学-「能動的思想」をうみだすために、哲学的思索を共にしていきましょう。(2004.12.4 タケセン)
わたしの創った「民知」という言葉=概念については、白樺教育館ホームページをご覧下さい
「行動の哲学」へ (再トラックバックです。)
まったくワタヌキ氏のいう通りだ思います。
問題に立ち向かう心、積極的に状況に関る心、権力や金力の横暴に屈しない心、そして、なにより自分に負けない心を深く支えることの出来る頭ー「能動的思想」を生み出す哲学でなければ、哲学には存在理由がありません。
「認識論」はあくまで認識論なのであり、それ以上でも以下でもないのです。
戦時中は天皇主義者になった西田幾多郎など多数の学者は、哲学者なのでしょうか?
ナチ党に進んで入党しヒトラーに過激な進言をしたハイデガーは、哲学者なのでしょうか? 政治権力者や社会的ステータスを持つ人間に擦り寄り、保守主義を支える言説をはき、彼らの横暴を見過ごす人間を哲学者と呼べるのでしょうか?
それが哲学者ならば、哲学が泣きます。そんな程度のものにソクラテスは命をかけたのではありません。
「民知」としての本来の哲学-「能動的思想」をうみだすために、哲学的思索を共にしていきましょう。(2004.12.4 タケセン)
わたしの創った「民知」という言葉=概念については、白樺教育館ホームページをご覧下さい