思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

戦争の犠牲者? 何の、誰の、犠牲者なのですか?

2005-08-20 | 社会思想

戦争とは天災ではありません。政府の決定がなければ戦争は起こりません。
太平洋戦争を含む15年戦争とは、明治政府が確立した「天皇制国家」の戦争政策により「昭和」が起こしたものであることは、歴史上の事実です。

したがって、犠牲者とは、「天皇制国家」の戦争政策の犠牲者という意味です。
そうであれば、戦死者は、兵士、非・兵士の区別無く共同の「鎮魂の墓苑」で祭らなくて
はなりません。兵士を褒め称えるのではなく、兵士も「国家政策の犠牲者」として鎮魂することが必要なのです。

明治政府が天皇を崇める「国家神道」という宗教をつくり(その総本山が靖国神社)、小学校からの宗教教育を行って国民を教化し、「神国・日本」という神話を捏造し、戦争政策を行ったための犠牲者が15年戦争での戦死者です。もちろん、その戦争政策で日本兵に殺された夥しい数のアジアの人々も、「天皇制国家日本」の犠牲者です。

以上は、極めて少数の特異な思想をもつ人以外は皆が承認する認識のはずです。

もう誰もが分かるでしょう。
戦争犠牲者を弔うとは、明治政府作成の「天皇制」という思想を根本的に改めることからしか始まらないのです。この簡明な「思想」をはっきりと自覚すること、それがすべての前提です。

「国民全員を統合する象徴」という全く非・現実的で意味不明の規定をしている現憲法の第一章を変えていくことが必須です。今はもう21世紀であり、古代ではないのですから。一人の人間の死によって時代区分まで変えるという国は世界のどこにもありません。市民精神をもつ人は、とっくに「元号」の使用をやめています。いつまでも天皇主義―国体思想を引きずる「愚かな国民」であっては、日本の未来は拓けません。自民党的な思想をきちんと廃棄しようではありませんか。それがなければ「鎮魂」はできないのです。

8月20日 武田康弘




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