一昨日のブログに6年前の文書―「白樺派―創造の地・我孫子」を載せましたが、
「白樺派」の思想をそのまま現代に賦活させることには意味がありません。
いわゆる「旦那衆のリアリズム」と呼ばれる「個人主義」では、とうてい現代の人間と社会の問題解決には役立たないからです。柳の博識にしても「認識論」が欠落しているために、哲学としての普遍性をもたず、単なる「解釈学」の域を出ません。
称揚し、評価し、甦らせるべきは、白樺派の面々の「個々の思想や業績」ではありません。「過去」ではないのです。そのスピリット=己の存在を肯定し、未来を開こうと努力した前向きな精神です。彼らは、既成の権威に頼らず、自分の心に感じ、自分の頭で考えたことに従い、「よい」と思ったことに真っ直ぐに向かっていきました。見習うべきはその「能動的」な態度です。
現代の「受動性」に支配され、間違いや失敗を恐れる臆病な精神、他人の目ばかり気にする後ろ向きの思想では、何事もなしえません。「不幸を再生産」するだけです。
個人=実存からの出発という思想は、哲学の原理であり、まったく正当なものです。しかし、その原理を生かすには「白樺派の思想」では無理です。彼らのよき志を生かし、普遍化するためには「民知」という思想と実践が求められると思います。「民知宣言」をぜひご覧下さい。
8月7日の竹田青嗣さん、山脇直司さん、私の三者会談を紹介した「白樺教育館」ホームの「私の思い」もぜひご参照下さい。
8月23日 武田康弘