思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

明治政府作成の「天皇制」が終わらなければ「戦後」も終わりませんー鎮魂の墓苑を!

2005-08-18 | 社会思想

政治家の「靖国」参拝は、民主制=市民社会にふさわしい「公立墓苑」ができるまでの暫定的な「参拝」としてのみ許されるものです。

小泉内閣は、「公立墓苑」創設の準備さえ始めないで、閣僚が靖国参拝を繰り返しています。もちろん「反・小泉派」も同じです。軍人と非・戦闘員を共に「天皇教」=「日本主義」の犠牲者として手厚く鎮魂する「鎮魂の墓苑」をつくることは、全国民の仕事、否義務だと思います。

自民党という政党は、明治政府がつくった天皇教=国家神道=日本主義に今なお呪縛された政党であることは誰の目にも明らかです。精神的に自立する市民=真の人間を育て、その個々の人間にのみ依拠するほんものの市民社会をつくるためには、天皇教のイデオロギーをきちんと清算する必要があります。

シチズンシップに基づく市民社会の建設を目がける政党は、何よりも個々人から発するエロースを最大限に生かす前向きな明るさと自由を本旨としなければいけません。リスクは当然として受容し、その上にたって「安全」を担保する方策をつくるのです。

集団主義―国家主義的な発想を改める側に立つものと、明治政府がつくった近代天皇制=日本主義を引きずる側にたつものの二つに分かれて「選挙」を行い、市民主権の自治=民主制を明確に選択することが日本再生のはじめの一歩です。靖国の思想=国家主義を引きずっていては、市民自立の社会は始まりません。

明治政府がつくった「天皇制」=「日本主義」が終わらない限り、戦後も終わらないのです。

(「皇族の人権と市民精神の涵養」を見てください。)

8月18日 武田康弘




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