以下の見解は、日本近代史の学的常識に基づく意見です。
読者の方は、すでにご存知だと思いますが、靖国神社は、日本の伝統を否定して明治政府が創設した神社ならざる「神社」です。
味方(明治政府側の兵士)だけをまつるーしかも死者を集合神にするという反伝統の思想を持ちます。
「近代天皇制」という山県有朋らがつくったシステムは、国体思想に基づく官僚主義国家のことですが、それは、尋常小学生からの徹底した「天皇崇拝」の教育ー明治天皇自身の要望により入れられた「天皇史」としての日本史教育等により、永続化させられたのです。
その国体思想による政治を支えた精神的・宗教的支柱が「靖国神社」です。いわば、明治政府作成の「天皇教」最高施設なのですが、戦後、民主主義社会に変わってからもその考えを堅持し、積極的に思想宣伝をしてきました。
天皇現人神ー皇軍という狂気の洗脳教育を受けて戦場にかり出された尊い若い命を追悼するには、あまりに不適切な施設だ、と私は思います。死者をなお「超国家主義」で縛りあげるのは許し難い行いではないでしょうか?
当時の官僚と政治家による「思想教育」の過ちを正さない限り、兵士たちの魂は鎮まることがないのです。「日本は天皇を中心とした神の国だ」(森前首相)いまなお、キングメーカーがこういう発言をする国を正していくことは、われわれ日本人の重大な仕事だと思います。
兵士を含む全戦没者を慰霊する公立墓苑の創設が急がれます。「一宗教法人に過ぎない」(安部官房長官)施設に国家の仕事を独占させていいはずがありません。
武田康弘