思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

靖国問題への応答メールですー問題の本質は?

2006-08-19 | 社会思想

以下は、私の「靖国問題」についての二つのブログに対するコメント(メール)です。



Hです。

靖国の存在そのものを問い直す作業が必要であることは明々白々のはずですが、
メディアは概して靖国の存在(肯定)を前提にした議論しかしていないように思います。
だから国民の63%が総理の靖国参拝に賛成するなんて狂ったことになるのでしょう。
【掘り下げて考える】という人間として至極まっとうな行為が出来ないのでしょうか、日本人は。
哀しくなります。
加藤紘一程度の靖国批判で放火され(と疑われ)のではたまったものではありませんね。
いや、もしかしたら批判が中途半端だからか?
タケセンのブログ、もっと広まると面白いんですがね。
(専門職)

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ブログ 靖国問題の本質をよんで

 祈 という言葉をよみ終えた時には、私の目から涙がとめどなく溢れていました。
そこからは、実に多くの尊大な大切なことを想像させられ、心の奥深くに、これまでのタケセンの、まっとうな揺るぎない思想、主張の数々と、生きた言葉の言わんとすることを、私 として感じ、自分が今していきたいことが何なのか、あらためて鮮明になりました。
私にとっては、まず「自分の中」にあり、自分の周り=すぐ側にあるのです。おかしなものが多く混じった情報の中で暮らしていると、「現実」に何となく流され、汚染されそうになることは誰しも多かれ少なかれあるかと思いますが、きちんと我が心の内奥に焦点をあわせ、静かなる底力のようなものを持ち続け、思いやりの心で誠心誠意、自他と接し、対話をしていきたいです。伴うリスクなど承知の上であるならば、肩の力をぬいて、自然に行動を続けていけるとのではと感じています。
私たちは首相でも官僚でもありません。だけど(だから)私たちが普通(まとも)の意識を持ち、当たり前のこと、よきこと、よろこびを伝え広げていくことが、この国を正す、最短最良の道とすら感じています。それは、自他ともに真に幸福な人生を生きることにつながるような気がしています。
(hirominn・主婦)
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すごく分かりやすいブログですね。読みました。
さて、もし、御霊が存在するならば、
時の政府や天皇にだまされたと怒っているでしょう。
だから、小泉首相の参拝は、御霊にとっては迷惑千万でしょうね。
そもそも「心の問題」といいながら「公約」だから参拝したというのは
とんでもない矛盾ですよね。

Y(県会議員・無所属)
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Iです。
武田康弘さんの意見に同感です。私も国立の戦没者追悼施設を作るべきだと思います。
ただ読売新聞の8月16日や11日の記事や今回の8・15のメデイアの靖国参拝騒動の報道を見る限り、これを現在の国内の状況で新たにゼロから建設するのはほぼ不可能ではないか、と思われます。国民の間にこのことについて、ほとんど議論の深まりがないからです。市民がどこまでそれを本気で望んでいるかも不明ですし、それを掲げて運動している市民グループも私の知る限り現在のところ一つもありません(もし知っている方がいれば教えて下さい)。そういう段階では、結局は政治家の間の政争の具として一案件として出される程度で終わってしまうのではないでしょうか。市民不在のままに。むしろ現在の勢力関係では、靖国神社がこのまま日本における「公共の追悼施設」という名目で国民に刷り込まれていく方向にあり、そのことを大いに危惧します。地道に草の根的に取り組んで靖国的追悼への代案を出していく市民運動が育たない限り、武田さんの提案実現は難しいでしょう。自衛隊が合法的に海外に出て戦闘できるようにしたい勢力にとっては、靖国神社はもっとも手軽に利用できる格好の装置であり、何がなんでもこれを死守しようとするでしょうから。
私も何とかこの風潮を変えたいと願って努力しているのですが・・・。

I(宗教哲学・大学教授)
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Yさん、Iさん、
武田です。

ブログ「思索の日記」への賛同コメント、ありがとうございます。

経験次元では、政府―国家の責任による新たな戦没者追悼施設の創設が難しいのはIさんの言う通りでしょう。

ただし、ます第一にすべきなのは、原理次元で考察し、どう考え、どうするのがよいか?を明晰にすることだと思います。

おおもとが明瞭になれば、変革の可能性を広げる条件をつくり出すことができます。

私は、そうやって過去いくつもの課題をクリアーしてきました。深く納得できる原理が明瞭に示されれば、人は必ずその方向に動くものです。ほんとうです(笑)。

コンパクトに、明瞭で分かりよく「原理」を示すことが出来れば、その理念世界は現実を変えうるのです。どのような現実も人間の意識―惰性的な意識に支えられていますが、その意識を活性化―賦活化させるのは、透明な衝撃=「原理」の開示に他なりません。

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コメント
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