思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ナショナリズムによる教育を行う=安倍晋三の「美しい国へ」の批判ー2

2006-08-30 | 社会思想

豊かな国―よろこびの多い国とは、多様な考えと多様な活動であふれる国です。ある特定のモデルが賞賛され、学校教育で方向性が定められる国とは、単色の全体主義でしかありません。

職場で、地域で、政治的な意見を自由にのびのびと発言できない民主制国家!?自己矛盾もいいところですが、わが国がどの先進国よりも個人の自由な意見表明がないのは、衆知の事実です。保守主義以外の意見は、まるで危険思想であるかのように見られ、みながダンマリを決め込む社会とは、不健康・不健全で危険ー人間のよき生の障害であることは、誰にでも分かることです。

八紘一宇・神国日本・皇軍・天皇現人神・・という勇ましくおぞましい標語―思想を掲げて、中国侵略から始まる長く過激な戦争を行った戦前の日本人は、どのようにしてつくられたのか?をしっかりと認識し、その思想的な拠り所になっていた「国体思想」とは何か?(クリック)を知るという基本がなければ、すべては宙に浮いてしまい、何も始まりません。

ところが安倍晋三は、その戦争でA級戦犯(思想的犯罪)容疑者であった祖父の岸信介を肯定したいという底意を持ちつつ己の思想を語っています。ここには、反省の色はまったく見られません。「自虐史観」を排する教育を行い、ナショナリズム(国家主義)をもつ国民をつくるというのが彼の基本方針です。

一人ひとりの考えー主観性を豊かにしていく教育は、わが国では行われてきませんでしたが、そのために生じている個人の無責任性の問題を、政府が理想の家族像を示して学校で教えることで解決するという安倍の主張は、逆立ちしていて、問題の根をさらに深くします。自分の意見を育てる教育―彼が引き合いに出すアメリカの例で言えば、「6歳からのソクラテス教室」のような、自分で考え・話す教育こそが何よりもます始めに求められるのです。

そのような本質的な次元については、何も考えず、何も語らずに、教育もまた政治レベルの話=ナショナリズムを持つ人間の育成の問題に収斂させるとは、あまりにお粗末。

(まだまだ続きます)

武田康弘



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