他者が自分をどう見ているか?を気にしたとたん、「他者地獄」に落ちます。
自分の価値意識を明晰に自覚する作業を日々の生活の中に組み込むことで、他者の意識を通奏低音のように聴きつつ、自分から発するメロディーを奏でることができるのですが、それができて初めて他者とのハーモニーも可能になります。この順番は絶対的なもので、他者のメロディーを先立ててしまうと、精神的な病気に陥ります。ハーモニーを可能にするには、自分のメロディーをしっかり奏でることが条件です。
したがって、自分がどう見られているか?を、通奏低音のように聴くのは必要ですが、それをメロディーとして聴いてしまうと、自分で自分の首を絞めることになります。
なお、直接互いのメロディーを聴き合うことでハモれるのが友人、同志であるわけです。
自分の「欲望」を自覚し、それをしっかり語るという基本がないと、集団同調するだけで、けっして和する(ハモる)ことができません。わが日本人の多くが、残念ながら【閉じた固い自我と他者への同調】という不毛で不幸な生から抜けられないのは、自分のメロディーを豊かに奏でるというエロースの営みがないからです。
武田康弘
(以上は、昨晩のSさんの質問に応えた「白樺ML」に加筆したものです。)