思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

安倍政府は、戦没者への責任放棄ー追悼施設はつくらない

2007-05-09 | 社会思想

満州事変に始まる15年戦争は、日本国政府が戦争を行ったにも関わらず、公立の戦没者追悼施設をつくらない、建設に向けた予算計上もしない、とい安倍首相は、首相として、戦没者に対して責任を果たす考えがない、ということです。

一宗教法人に過ぎない『靖国神社』(いまだに天皇主権国家であった日本を肯定し賛美する思想を盛んに宣伝しているーその主張の凄まじさは以前ブログで紹介しました)に兵隊の戦死者の追悼を任せているのは、政府の最高責任者としてあまりに不見識です。

極めて特異な日本主義の主張を続ける「靖国神社」は、明治政府によって1869年(明治2年)に「東京招魂社」としてつくられたもので、日本の伝統の神社とはその内容を大きく異にします。それは、明治政府が神道を「国家化」するためにつくった神社ならざる「神社」であり、敗戦と共に、その思想は否定されたわけです。もちろん、一宗教法人としての活動は今も自由ですが、民主制・市民社会の原理に反する政治思想を堂々と掲げる宗教を、政府要人が擁護するというのは、到底許されるものではないでしょう。

ふつうの多くの人が静かに戦争犠牲者を追悼することのできる施設を、一刻も早くつくらなければいけません。政府が起こした戦争の犠牲者を追悼する公立の施設がない、というようなことがあっていいはずがありません。すでに戦後60年がたっています。戦争を真に反省しているのならば、ひとりひとりのかけがいのない命を「お国のため」「天皇陛下のため」といって戦地に駆りだした(日本が攻められたのではなく、日本から外地に攻め込んだ戦争であったわけですから)政府の思想と行動の深い反省として、【全戦没者を追悼する施設をつくること】は、日本国政府の責任であり義務なのです。戦争という凄まじい国家行為に対する最低限の責務も果たさない政府とは、いったい何なのでしょうか?

私は、公共的怒りを覚えます。

武田康弘



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする